酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5248 本多忠貫墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

本多 忠貫(ほんだ ただつら)は、伊勢神戸藩の第7代(最後)の藩主。神戸藩本多家8代。


生涯
天保4年(1833年)11月28日、出羽新庄藩主戸沢正令の次男として江戸で生まれる。


第6代神戸藩主本多忠寛が初め養嗣子としていた忠穆が早世したため、安政3年(1857年)2月に新たに養嗣子とされ、翌安政4年(1858年)4月1日に将軍徳川家定に拝謁する。同年4月26日の養父の隠居により家督を継いだ。


安政5年(1859年)11月23日、従五位下伊予守に叙任する。竹橋門番を務めた後の文久3年(1863年)10月に山田奉行に任じられている。


明治2年(1869年)6月、版籍奉還により知藩事に任じられ、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。


明治17年(1884年)の華族令で子爵となる。


明治31年(1898年)6月24日に死去した。享年66。家督は外孫の忠鋒が継いだ。


戒名 : 揚徳院殿相誉実音忠寛大居士。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5831.html

5247 本多忠寛墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5833.html
5249 本多忠恕墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


 本多忠貫