酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5247 本多忠寛墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

本多 忠寛(ほんだ ただひろ)は、伊勢神戸藩の第6代藩主。神戸藩本多家7代。諱は忠廉(ただかど)とも記される。


生涯
文政10年(1827年)1月20日、第5代藩主本多忠升の次男として神戸で生まれる。


天保11年(1840年)7月28日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年9月20日、父の隠居にともない家督を継ぐ。


天保12年12月16日、従五位下伊予守に叙任する。江戸幕府の天保の改革における上知令で領地の差し替えを命じられそうになるが、老中の水野忠邦が失脚したために取り消しとなった。


弘化元年(1844年)、一橋門番や日光祭祀奉行を、弘化4年(1847年)には大坂加番代を、嘉永2年(1849年)には竹橋門番を務めた。


安政4年(1857年)4月26日、家督を養子の忠貫に譲って隠居する。


明治18年(1885年)12月20日に死去した。享年59。


戒名 : 貞徳院殿実誉義哲忠廉大居士。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5832.html

5248 本多忠貫墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5833.html
5249 本多忠恕墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)


 本多忠寛