酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5242 細谷資氏墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

細谷 資氏(ほそや すけうじ、1858年2月12日(安政4年12月29日) - 1944年(昭和19年)1月2日は、日本の海軍軍人。海兵5期。最終階級は海軍少将。仁川沖海戦開戦時における第三艦隊第七戦隊司令官(少将)[1]。海軍砲術学校砲術練習所長。


生涯
1858年2月12日(安政4年12月29日)、武蔵国豊島郡江戸八代洲河岸で生まれる。
1918年12月29日に退役した[2]。
細谷の墓は東京都台東区の谷中霊園にある。
息子の資彦(次男)、資芳(三男)は海軍軍人。


栄典
・1891年(明治24年)12月16日 - 従六位[3]
・1895年(明治28年)9月27日 - 双光旭日章・功四級金鵄勲章[4]
・1898年(明治31年)3月8日 - 従五位[5]
・1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章、勲二等旭日重光章、明治三十七八年従軍記章[6]
・艦長を務めた艦艇
・千歳 (防護巡洋艦)
・厳島 (防護巡洋艦)
・平遠 (装甲巡洋艦)
・浅間 (装甲巡洋艦)
・筑波 (コルベット)


脚注
1. 平塚 2009, p. 58
2. 『官報』第1930号、大正8年1月11日。
3. 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
4. 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
5. 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
6. 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。


参考文献
・平塚柾緒 『日本海海戦: 写真が記録した日露戦争』 学研パブリッシング、2009年。ISBN 9784059012474。
・『海軍兵学校出身者(生徒)』発行者:海軍兵学校出身者(生徒)名簿作成委員会、1987年10月20日 第三版(改訂版)Pg17
・鈴木健二『在外武官物語』芙蓉書房、1979年3月20日 Pg203, Pg210


関連項目
・大日本帝国海軍軍人一覧
・海軍兵学校卒業生一覧 (日本)


外部リンク
・大里浩秋 “宗方小太郎日記,明治34~35 年” 神奈川大学 人文学研究所報 No. 47
・嶋田耕一 “明治天皇と東郷平八郎 – 日本海海戦前夜のエピソード –” 明治聖徳記念学会紀要(復刊第45号)平成20年11月
(wikiより)