酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5236 井口小十郎墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

井口小十郎 ( いぐちこ - じゅうろう )
文政 3年 ~ 明治 18年 3月 ( 1820 - 1885 )


新道無念流武術家。


本姓、若林為則。通称、小十郎。


武州秩父郡横瀬 ( 埼玉県秩父 ) 出身。


関宿藩士。


23歳で江戸に出て、神道無念流中興の祖である戸賀崎熊太郎に剣法を学び、その高弟となる。


嘉永 2年 ( 1849 ) 関宿藩士・井口新六の養子となり 30石。


文久 3年 ( 1863 ) 筑波山の挙兵に参画し、参謀となる。


のち武州に道場を開き、数百人の門下生を持つ。


慶応 2年 ( 1866 ) 藩主・久世広文に抱えられ 40石を与えられる。


維新の折り家老・杉山対軒の勤王の考えに反対し、富山匡之助と共に、並塚村の庄内古川付近で暗殺した。


その結果、久世藩は、戊辰戦争では左幕派となり新政府に敗れた。


廃藩後は、神道実行教に入り布教する。66歳没。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3208.html

2989 久世広文墓(台東区・谷中霊園)