酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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5228 近藤朔風墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

近藤 朔風(こんどう さくふう、1880年(明治13年)2月14日 - 1915年(大正4年)1月14日)は、訳詞家。原詩に忠実な、歌い易い訳詞で、西欧歌曲への市民の耳を開いた。『泉に沿いて茂る菩提樹』・『なじかは知らねど心侘びて』・『わらべは見たり野中のばーら』などは、今も歌い継がれる。本名逸五郎。筆名には近藤あきら・羌村もあった。


生涯
桜井勉・八重子の第5子として、東京に生まれた[1]。桜井家は、但馬国出石藩(現・兵庫県豊岡市出石町)の藩儒の家系で、明治維新後上京した勉は、逸五郎誕生のときには内務省山林局長を務め、東京在住の出石出身者の中心的な人物だった。叔父(勉の実弟)に、教育家木村熊二がいた。


1893年(明治26年)(13歳)、逸五郎は父方母方両方の叔父に当たる近藤軌四郎の養子に入った。1895年誠之小学校から尋常中学郁文館へ進み、1900年に卒業した。その頃から西洋音楽を好み、1901年東京音楽学校の専科生となり、1902年から東京外国語学校伊語学科にも在籍した。1903年東京音楽学校が日本初のオペラ、グルックのオルフェウスを上演したときには、石倉小三郎らと訳詞を担当した。


オルフェウス上演後、東京音楽学校・東京外国語学校から離れ、雑誌への寄稿を始めた。西洋音楽の手引きのほかリヒャルト・ワーグナーの紹介記事も書いた。1905年4月から『音楽』誌の編集主任となり、初の訳詞、グノーの『セレナアデ』を同誌に載せた。
1906年(明治39年)(26歳)、日下部千穂と結婚した。この頃、日本民謡の紹介もした。


1907年頃から、『近藤朔風』の筆名で、原詩に忠実な訳詞作りに励んだ。訳詞は47編確認されているが、訳業による収入は十分でなく、役所勤めもしたと言う。詳細は明らかでない。


酒好きで、1915年の年明けに倒れて順天堂病院に入院し、面疔と肝臓炎のために没した。35歳。墓は、谷中霊園甲11号1側、桜井家墓域にある。[1]


主な訳詞
訳詞は先ず雑誌に発表し、それから訳詞集に纏めたと言う。その次第は出典の坂本麻実子の論文に詳しい。以下には、よく知られる分をおよその年代順に抄し、次項に出版の表題だけを掲げる。
・ユーゴー詩・グノー曲の『セレナーデ』
・クラウディウス(Matthias Claudius)詩・シューベルト曲の『シューベルトの子守歌』
・ヴィーラント詩・ウェーバー曲の『ふなうた』
・ゲレルト(Gellert)詩・ベートーヴェン曲の『神のみいつ』
・ハイネ詩・シューマン曲の『わすれな草』
・ハイネ詩・リスト曲の『花かそもなれ』
・ラマルティーヌ詩・ゴダール曲の『ジョスランの子守歌』
・ガイベル(Emanuel Geibel)詩・シューマン曲の『流浪の民』
・ハイネ詩・ジルヒャー曲の『ローレライ』
・ゲーテ詩・シューベルト & ウェルナー曲の『野ばら』
・ポーランド民謡・ショパン曲の『乙女の願』
・ミュラー(Wilhelm Müller)詩・シューベルト曲の『菩提樹』
・ハイネ詩・シューマン曲の『はすの花』
・ライトン(W.T.Wrighton)曲の『ほととぎす』、(ウーラント(Ludwig Uhland)詩・・シューマン曲の『暗路』の訳詞だったが、現在は、ライトンの旋律に乗せて歌われる。)
・マルティーニ曲の『愛の歓び』
・ベイリー(Thomas Haynes Bayly)曲の『久しき昔』(ロング・ロング・アゴー)


出版の記録
・編著:『歌劇オルフォイス』(翻訳台本)、東文館(1903.7)
・『独唱名曲集』、如山堂書店(1907.6)(収録15篇中10篇が朔風の訳詞)
・『つはもの』(独唱・合唱西欧名曲集 第3巻)、如山堂書店(1907.8)(7篇)
・小松玉巌編:『名曲新集』、大倉書店(1908.9)(収録25篇中9篇が朔風の訳詞)
・天谷秀と共編:『女声唱歌』(三部合唱曲集)、共益商社書店(1909.11)(収録25篇中14篇が朔風の訳詞)
・山本正夫と共編:『西欧名曲集』(合唱曲集)、音楽社(1911.4)(収録15篇中8篇が朔風の訳詞)
・山本正夫と共編:『西洋名曲叢書 第1集』(メンデルスゾーン号)、楽界社(1915.3)(4篇)
・同上『第2集』(女声三部合唱集)(1915.4):(6篇)
・同上『第3集』(歌劇独唱曲号)(1915.5)(3篇)
・同上『第4集』(高名民謡号)(1915.6)(6篇)
・同上『第5集』(ベートーヴェン号)(1915.7)(3篇)
・同上『第6集』(シューベルト号)(1915.8)(3篇)
・同上『第7集』(シューマン号)(1915.9)(3篇)
・同上『第8集』(英国民謡号)(1915.10)(4篇)
・同上『第9集』(芸術的歌曲号)(1915.11)(4篇)
・同上『第10集』(近代作家歌曲号)(1915.12):(内容不明)


出典
・坂本麻実子:『近藤朔風とその訳詞曲再考』


脚注
1. 「坂本麻実子:『近藤朔風とその訳詞曲再考』」のp.3
(wikiより)


 近藤朔風