酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5221 九代目・吉村甚兵衛墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

天保 7年 ~ 明治 19年 11月 26日 ( 1836 - 1886 )


明治時代前期の通信・運輸業者・内国通運会社 ( 日本通運の前身 ) 初代頭取。


三都定飛脚問屋和泉屋 9代当主。江戸出身。


明治 4年 ( 1871 ) 前島密により官営郵便が創業され、深刻な打撃を受けた。


そこで旧定飛脚仲間と提携して、官営郵便と激しい競争をしたが、前島密や前島と実際に飛脚屋総代として交渉に当たった手代の佐々木荘助らの進言に従い、明治 5年 ( 1872 ) 伝馬 ( てんま ) 所・助郷 ( すけごう ) を廃止し、それに代わるものとして政府の援助を受け日本橋佐内町の泉屋邸内に陸運元会社を設立し頭取となった。


その後、順調に取引網の拡大を続け明治 8年 ( 1875 ) 2月内国通運会社と改名、三井組の独占だった鉄道貨物取扱業に新規参入。


ちなみに、陸運元会社に加盟しなかった陸運会社は、政府により解散させられ独占を認められた。


しかし、自由民権運動 の高まりや、 鉄道 の発展などもあり、政府は明治 12年 ( 1879 ) 5月太政官布告で内国通運会社の独占を廃止した。


吉村甚兵衛は明治 14年 ( 1881 ) 8月まで社長を務めた。51歳。


その後会社は、昭和 3年 ( 1928 ) 国際通運株式会社として発足。


昭和 12年 ( 1937 ) 10月 1日、日本通運株式会社法に基づき特殊会社として日本通運株式会社となる。


昭和 25年 ( 1950 ) 2月 1日、日本通運株式会社法が廃止され、民間企業として再出発。


同時に東京証券取引所に上場。