酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5216 佐立七次郎墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

佐立 七次郎(さたち しちじろう)は、明治時代に活躍した建築家。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。


経歴
・1856年(安政3年)讃岐藩士の子として高松市に生まれる。


・1873年(明治6年)8月 工学寮に入学する


・1879年(明治12年)11月 工部大学校造家学科を卒業(同期に辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊がいる)。工部省技手となり、営繕局勤務上野博物館建築掛を命じられる


・1880年(明治13年)10月 鉱山局勤務となり、秋田県院内鉱山建築掛を命じられる


・1882年(明治15年)4月 会計検査院建築掛を命じられ、設計・監督を担当する


・1883年(明治16年)7月 海軍省に転任し、横須賀鎮守府造船所在勤建築課員営繕掛となり、学舎教授掛兼務を命じられる


・1884年(明治17年)5月 依願免官となり、藤田組(現フジタ)に入る


・1887年(明治20年)2月 逓信省に入り、逓信技師に任じられる。工学士の称号を認可される。


・1888年(明治21年)郵便及び電信局舎建築法研究のため、欧米へ出張し、翌年帰国。


・1891年(明治24年)10月 逓信省を辞し、建築設計事務所を開設する


・1897年(明治30年)頃 日本郵船株式会社の建築顧問となる。


・1912年(大正1年)12月 退社し、自宅で静養する


・1922年(大正11年)11月 逝去(享年67)。遺言により、遺体は慶應病院において解剖される


主な作品

 日本水準原点標庫


 旧日本郵船小樽支店


・会計検査院(1885年、現存しない)
・名古屋郵便局(1890年、現存しない)
・東京九段郵便局(1891年、現存しない)
・日本水準原点標庫(1891年、東京都千代田区、現在も公的建造物としての機能を有する)
・大阪中央郵便局(1892年、現存しない)
・東京株式取引所事務所立会所(1896年、現存しない)
・旧日本郵船小樽支店(1906年、北海道小樽市、重要文化財)


華族・親族
子の佐立忠雄(1886年 - 1952年)も建築家。作家・詩人の金子光晴の義祖父にあたる。


関連項目
・建築史
・日本近代建築史
・西洋館
・擬洋風建築


参考文献
・建築雑誌 第36輯第436號(発行:建築學會/大正11年12月)
・建築雑誌 第37輯第446號(発行:建築學會/大正12年10月)
・20世紀日本人名辞典(発行:日外アソシエーツ)


外部リンク
・日本建築学会所蔵写真データベース
・名古屋郵便電信局(1887年)
・横浜郵便電信局(1889年)
・大阪中央郵便局(1892年)
・東京株式取引所(1897年)
・朝日日本歴史人物事典、デジタル版 日本人名大辞典+Plus『佐立七次郎』 - コトバンク
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2814.html

2539 日本水準原点標庫(千代田区永田町1-1・国会前庭洋式庭園内)


 佐立七次郎