酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5093 永井岩之丞墓(荒川区西日暮里3-1-3・本行寺)

永井 岩之丞(ながい いわのじょう)は、幕末の幕臣、明治期の裁判官(大審院判事)。三島由紀夫の曾祖父にあたる。


生涯
700石取りの幕臣・三好長済(山城守幽雙)の次男として生まれ、旗本・永井尚志(玄番頭)の養子となる。


戊辰戦争では養父と共に蝦夷地へ脱走し、函館の五稜郭に立て籠もって戦った。


明治5年(1872年)7月7日、常陸宍戸藩主・松平頼位の三女・鷹(のちに高)と結婚し、六男六女を儲ける。


明治6年(1873年)7月、司法省十等出仕を命ぜられる。明治13年(1880年)5月1日、判事。明治16年(1883年)1月、控訴院判事。明治27年(1894年)4月、大審院判事。


明治40年(1907年)5月25日、下谷区上野桜木町の自宅で死去。享年63。


栄典
1904年(明治37年)2月10日 - 従四位[1]


人物
六男の大屋敦(元住友本社理事、日銀政策委員)は、父・岩之丞について『私の履歴書』(日本経済新聞 1964年に連載)の中で、「父は融通など全くきかぬ厳格そのもののような人だった。子供の教育については、なにひとつ干渉しなかったが日常の起居は古武士のようであぐらなどかいた姿を、ただの一度も見たことはなかった。当時の判事は行政官に比べるときわめて簿給で、それで十二人の子女を養わねばならなかったから、当然清貧であった。私どもと同じ上野桜木町に住む父の実弟三好晋六郎は日本の造船界黎明期の権威者で、東京帝大の教授であり、産業界にも深いつながりを持っていた関係で、今の大学の先生など想像のできぬ豊かな暮らしをしていたが、兄弟仲はすこぶるむつまじかったようである」[2]と語っている。


家族・親族
・父・三好長済(山城守幽雙)(幕臣)
・養父・永井尚志(旗本・玄番頭)
・長男・永井壮吉(海軍中佐)
・二男・永井亨(経済学博士、人口問題研究所所長)
・三男・永井啓(第一銀行監査役)
・四男・永井繁(東洋リノリューム社長)
・五男・高校生の時に急逝(京都三高の学生時、スペイン風邪で死去)
・六男・大屋敦(住友本社理事、日銀政策委員)
・長女・夏子(なつ)(内務官僚・平岡定太郎に嫁ぐ)
・二女・鐘
・三女・愛
・四女・千恵(電波研究所長・横山英太郎に嫁ぐ)
・五女・清子
・六女・文子



・壮吉の子:多喜子(衆議院議員・岡田五郎に嫁ぐ)、稔子、永井隆
・夏子(なつ)の子:平岡梓(農商務官僚)
・亨の子:永井良(明石合金)、永井弘(日本通運健保常務理事)、久子、志子、信子、保子、礼子
・啓の子:細谷省吾(娘・悠が伊勢丹社長・小菅丹治に嫁ぐ)、永井彰(新家電工業取締役)、永井保(彫刻家)、永井治(石川島播磨設計課長)
・繁の子:恵美子、永井基(住友軽金属常務)、永井三明(同志社大学教授)
・敦の子:大屋宏(住友金属鉱山取締役)、純子、大屋薫(東芝音楽工業邦楽部長)、千枝子、大屋韶(日本板硝子ガラス課長)
・鐘の子:磯崎隆吉(海軍造船少将)、磯崎勉(東急自動車社長)、磯崎叡(国鉄総裁)、京子、磯崎迪(三菱商事鹿児島支店長)、澄子
・愛の子:加代子、豊沢通明
・千恵の子:喜美(住友銀行専務取締役・伊部恭之助に嫁ぐ)、秀
・清子の子:田中泰(互栄酵素代表者)、博子、静子、和子
・文子の子:渡辺篤二(農林省食品栄養部長)、渡辺文治(東芝音楽工業)、久子、重子
・曾孫・平岡公威(作家、筆名:三島由紀夫)、平岡美津子、平岡千之(外交官)、その他


脚注
1. 『官報』第6181号「叙任及辞令」1904年2月12日。
2. 『私の履歴書 第22集』(日本経済新聞社、1964年)、『私の履歴書 経済人7』(日本経済新聞社出版局、1980年)
3. 永井氏系譜(武家家伝)


参考文献
・越次倶子『三島由紀夫 文学の軌跡』(広論社、1983年)
・福島鑄郎『再訂資料・三島由紀夫』(朝文社、2005年)
・安藤武『三島由紀夫「日録」』(未知谷、1996年)
・『私の履歴書 経済人7』(日本経済新聞社出版局、1980年)
・安藤武『三島由紀夫の生涯』(夏目書房、1998年) 64-65頁


系譜については、『永井岩之丞ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E5%B2%A9%E4%B9%8B%E4%B8%9E
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/350.html
337 永井尚志墓(西日暮里3-1-3・本行寺)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/696.html

654 永井岩之丞君追弔碑(荒川区南千住1-59-11・円通寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/697.html
655 永井尚志君追弔碑(荒川区南千住1-59-11・円通寺)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/702.html
660 岩瀬肥後之守(忠震)墓(豊島区東池袋4丁目・雑司が谷霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3069.html
2881 永井尚典墓(荒川区西日暮里3-1-3・本行寺)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3076.html

2889 永井亨墓(荒川区西日暮里3-1-3・本行寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5612.html

5094 永井尚服墓(荒川区西日暮里3-1-3・本行寺)