酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5080 松平武雅墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)

松平 武雅(まつだいら たけまさ、元禄15年(1702年) - 享保13年7月28日(1728年9月2日))は、上野館林藩第2代藩主。越智松平家2代。


美濃高須藩主・松平義行の四男。母は側室・上月氏。幼名は新之助。初名は行高。官位は従五位下、肥前守。


元禄16年(1703年)8月14日生まれとも伝わる。義行には6人の男子がいたが多くは早世し、武雅だけが生き残った。


元服の際、父から偏諱を与えられて行高と名乗った。本来なら義行の世子となり、高須藩主になるはずであったが、義行は元禄14年(1701年)に本家から兄・徳川綱誠の十五男・万三郎(のちの松平義孝)を養子に迎えていたため、武雅は享保9年(1724年)、越智松平家の松平清武の養子とされ、同年家督を相続し館林藩主となる。


享保13年(1728年)に27歳で死去した。法名は顕徳院。子女を残さなかったため養嗣子として常陸府中藩から武元が迎えられ跡を継いだ。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5596.html

5079 松平清武墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5598.html
5081 松平武元墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5600.html

5082 松平斉厚墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5601.html
5083 松平武寛墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5602.html

5084 松平武成墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5603.html
5085 松平武聰墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5604.html

5086 松平武修墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5605.html
5087 松平斉良墓(荒川区東日暮里5-41-14・善性寺)