酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


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また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

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5070 初代・三遊亭圓朝墓(台東区谷中5-4-7・全生庵)

初代三遊亭 圓朝(さんゆうてい えんちょう)、(天保10年4月1日(1839年5月13日) - 明治33年(1900年)8月11日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家。本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。
概要[編集]
落語家であり、歴代の名人の中でも筆頭(もしくは別格)に巧いとされる。また、多くの落語演目を創作した。
滑稽噺(「お笑い」の分野)より、人情噺や怪談噺など、(笑いのない)真面目な、(いわば)講談に近い分野で独自の世界を築く。圓朝の噺が三遊派のスタイル(人情噺)を決定づけた。
あまりの巧さに嫉妬され、師匠の2代目 三遊亭圓生から妨害を受けた。具体的には、圓朝が演ずるであろう演目を圓生らが先回りして演じ、圓朝の演ずる演目をなくしてしまうのである。たまりかねた圓朝は自作の演目(これなら他人が演ずることはできない)を口演するようになり、多数の新作落語を創作した。
初代 談洲楼燕枝とは年齢が1歳下のライバルであった。
また怪談噺の参考とした幽霊画のコレクターとしても知られ、遺されたコレクションは全生庵蔵として圓朝まつりで毎年公開されているほか、2015年には東京藝術大学大学美術館でも展覧会が行われた。


来歴・略歴
※日付は明治5年までは旧暦
・天保10年(1839年)4月1日:初代 橘屋圓太郎(初代圓橘)の息子として江戸湯島切通町で生まれる。母の名は、すみ。
・弘化2年(1845年)3月3日:初代 橘家小圓太の名で江戸橋の寄席・「土手倉」で初高座。
・弘化4年(1847年):父・圓太郎と同じく二代目 三遊亭圓生の元で修行する。
・嘉永2年(1849年):二つ目昇進。
・嘉永4年(1851年):玄冶店の一勇斎歌川国芳の内弟子となり、画工奉公や商画奉公する。
・安政2年(1855年)3月21日:圓朝を名乗り真打昇進。
・安政5年(1858年):鳴物入り道具仕立て芝居噺で旗揚げ。
・元治元年(1864年):両国垢離場(こりば)の「昼席」で真打披露。
・明治元年(1868年):長子の朝太郎誕生。母は御徒町住の同朋倉田元庵の娘、お里。
・明治5年(1872年):道具仕立て芝居噺から素噺に転向。
・明治8年(1875年):六代目 桂文治と共に「落語睦連」の相談役に就任。
・明治10年(1877年):陸奥宗光の父で国学者の伊達千広による禅学講義の席で知己となった高橋泥舟により、義弟の山岡鉄舟を紹介される。
・明治13年(1880年)9月24日:山岡鉄舟の侍医である千葉立造の新居披露宴の席で、同席していた天龍寺の滴水和尚から「無舌居士」の道号を授かる[1]。
・明治19年(1886年)1月8日:井上馨の共をして身延山参詣。また井上の北海道視察(8月4日より9月17日)にも同行した。
・明治20年(1887年)4月26日:井上馨邸(八窓庵茶室開き)での天覧歌舞伎に招かれ、また井上の興津の別荘にも益田孝らと共に招かれている。
・明治22年(1889年)
 ・4月:向島の木母寺境内に三遊派一門43名を集め、三遊塚を建立。初代および二代目 三遊亭圓生を追善記念する。
 ・6月30日:各界人士を集めて、初代・二代目 圓生の追善供養のための大施餓鬼会を施行し、一門の43名が小噺を披露し、記念誌を配布した。
 ・朗月散史編『三遊亭圓朝子の傳』が三友舎から出版される。圓朝自身の口述に基づく自伝。
・明治24年(1891年)6月:席亭との不和で寄席の出演を退き、新聞紙上での速記のみに明け暮れる。
・明治25年(1892年):病のために廃業。
・明治30年(1897年)11月:弟子の勧めで高座に復帰。
・明治32年(1899年)
 ・9月 発病。
 ・10月 木原店で演じた『牡丹燈籠』が最後の高座となる。
 ・不行跡により朝太郎を廃嫡処分とする。
・明治33年(1900年)8月11日午前2時:死去。病名は「進行性麻痺」と「続発性脳髄炎」。法名は「三遊亭圓朝無舌居士」。墓は台東区谷中五丁目4番7号の臨済宗国泰寺派全生庵にあり、東京都指定旧跡となっている。


圓朝による新作
圓朝による新作落語には名作佳作とされる作品も多く、多数が現代まで継承されている。特に『死神』は尺が短いこともあって、多くの縁者が演じている。圓朝は江戸時代以来の落語を大成したとされ、彼の作による落語は「古典落語」の代表とされる(現在では大正以降の作品が「新作落語」に分類される)。
人情噺では、『粟田口霑笛竹』や『敵討札所の霊験』、怪談では、『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』などを創作した。また海外文学作品の翻案には『死神』『名人長二(発表:1887年。原作:モーパッサン「親殺し」)』『錦の舞衣(発表:1891年。原作:ヴィクトリアン・サルドゥ「トスカ」。後にプッチーニにより1900年にオペラ化される『トスカ』の原作)』がある。奇談としては『鰍沢』(三題話)などもあり、非常にレパートリーが広い。


著作
・『圓朝全集』全13巻 (鈴木行三校訂、春陽堂刊、復刻版世界文庫、1963年)
・『三遊亭円朝全集』全8巻 (角川書店、1975年-1976年)
・『円朝全集』全15巻 (岩波書店、2012年-)
・『三遊亭円朝集』 興津要編 <明治文学全集10>(筑摩書房、1977年)
・『三遊亭円朝』<明治の文学 第3巻> (坪内祐三・森まゆみ編集、筑摩書房 2001年)
業平文治漂流奇談(抄)、闇夜の梅、真景累ケ淵(抄)、梅若七兵衛、文七元結、指物師名人長二、落語及一席物、小咄、和洋小噺、三題噺 を収む。
・『怪談牡丹灯篭 怪談乳房榎』 安藤鶴夫解説 (新版ちくま文庫 1998年) 旧版は「筑摩叢書87」
・『怪談牡丹灯篭』 (岩波文庫改版 2002年)
・『真景累ケ淵』 (岩波文庫改版 2007年)
・『真景累ケ淵』 小池章太郎・藤井宗哲校注 (中公クラシックス 2007年)
・『三遊亭円朝探偵小説選』 <論創ミステリ叢書>(論創社、2009年)


圓朝落語の歌舞伎化
・外題不詳:明治12年(1879年)4月。東京・春木座。
内容は「業平文治もの」。円朝ものの劇化作品の嚆矢とされる。評判は不詳。
・『粟田口霑一節裁』:明治22年(1889念)11月。東京・春木座。
・『塩原多助一代記』:明治25年(1892年)1月。東京・歌舞伎座。
五代目 尾上菊五郎の主演で、宣伝の効果もあり大評判となり、『塩原多助』が修身国定教科書に登場するきっかけとなった。実在の人物は「塩原太助」であるが、修身教科書で「塩原多助」となっているのは円朝作品の影響の証左とされる。
・『怪異談牡丹燈籠』:明治25年(1892年)7月。東京・歌舞伎座。
同じく五代目 菊五郎の主演で、これも奇抜な宣伝が奏功し大当たりとなり、「夏は怪談物」ということのきっかけとなった。


昭和20年(1945年)以降で見ると、『文七元結』と『芝浜』を別にすれば(この2作品は円朝の代表的作品とは言えないようだから)、演じられるのは『真景累ヶ淵』『牡丹燈籠』『怪談乳房榎』のみと言ってよい。しかも前2作品は特定の場面のみである[2]。


弟子
・四天王
 ・初代 三遊亭圓馬
 ・三代目 三遊亭圓生(役者から四代目 桂文治一門に移籍したと思われる)
 ・四代目 三遊亭圓生
 ・二代目 三遊亭圓橘(三代目 立川焉馬一門、そして初代 三遊亭圓馬一門を経て移籍)
・五代目 司馬龍生(元二代目 橘家圓太郎、俗称:豊次郎)
・初代 橘家圓之助(圓朝の最古参の弟子、本名:中村代次郎)
・五代目 朝寝坊むらく(司馬才次郎一門から二代目 三遊亭圓生一門を経て移籍)
・二代目 立花屋圓蔵
・初代 三遊亭新朝
・二代目 五明楼玉輔
・三遊亭ぽん太(本名:加藤勝五郎)
・三代目 橘家圓太郎(二代目 桂文楽(後の五代目 桂文治)一門より移籍)
・四代目 橘家圓太郎(「ラッパの圓太郎」)
・三遊亭圓麗(二代目 小圓朝の父)
・二代目 三遊亭圓馬(竹沢釜太郎、初代 柳亭左龍一門より移籍)
・六代目 司馬龍生(五代目 桂文治一門から二代目 三升家小勝を経て移籍、最後は五代目 ・司馬龍生一門に移籍、本名:永島勝之郎)
・二代目 三遊亭小圓朝
・三遊亭一朝
・初代 橘家圓三郎(三代目 朝寝坊むらく一門より移籍、坐り踊りの名人。)
・二代目 三遊亭新朝
・初代 三遊亭圓遊(「ステテコの圓遊」二代目 五明楼玉輔一門より移籍)
・初代 三遊亭萬橘(「ヘラヘラ節の」最初は圓朝一門。その後、二代目 三遊亭圓橘一門に移籍)
・四代目 橘家圓喬
・初代 三遊亭圓左
・三遊亭圓鶴(三遊一朝の弟、本名:倉片順六)
・三代目 春風亭柳朝(初代 談洲楼燕枝一門、三代目 春風亭柳枝一門を経て移籍)
・七代目 土橋亭里う馬
・三遊亭圓條(圓朝の門、後に初代 三遊亭圓右一門へ移籍)
・四代目 三遊亭新朝(圓朝一門。その後、二代目 三遊亭圓生一門へ。再び圓朝の門に復帰)
・二代目 三遊亭金朝(本名:赤田滝次郎)
・初代 三遊亭金朝(芝居噺。後に上方に行く)
・初代 橘ノ圓
・初代 三遊亭圓丸(本名:安井国太郎)
・三遊亭圓寿(圓朝一門で林朝から圓寿となる、俗に「親子」)
・三遊亭圓寿(元三遊亭一朝、本名:諏防間定吉)
・三遊亭圓理(初代 圓馬一門の市楽から柳亭市馬後に圓朝一門で圓理、本名:坪井金四郎)
・三遊亭圓徳
・三遊亭亀朝
・三遊亭亀朝(圓朝の従兄弟で圓理から喜朝後に漢字表記を亀朝となる。)
・圓次郎(亭号不明、橘家と推測される、久朝から圓次郎となる。)


詳しい事は『三遊亭圓朝ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%9C%93%E6%9C%9D#.E5.88.9D.E4.BB.A3

(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1262.html
1168 初代・三遊亭圓朝住居跡(墨田区亀沢3-20)


 初代・三遊亭圓朝


⇧⇩ 初代・三遊亭圓朝碑