酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

5027 法恩寺(墨田区太平1-26-16・法恩寺)

池波正太郎 鬼平犯科帳「尻毛の長右衛門」の舞台


引き込みのおすみは橋本屋の勝手口からぬけ出し、横川へかかる法恩寺橋へ向かった。


彼方に法恩寺の大屋根がのぞまれる。


法恩寺は花落本圀寺の触頭で、江戸箇寺の一であり、表門を入った両側には塔中が押しならび、境内の稲荷の小祠を中心とした庭園の桜花が、いまや咲きひらこうとしている。( 略 )


いつものように、布目の半太郎は法恩寺橋の欄干にもたれて、おすみをまっていた。
(案内板より)


● 法恩寺
法恩寺 ( ほうおんじ ) は、東京都墨田区にある日蓮宗の寺院。山号は平河山。院号は本住院。本尊は十界曼荼羅。


由緒
太田道灌が 1458年 ( 長禄 2年 ) に江戸城を築くにあたり、城内鎮護の祈願所として武蔵国平河村 ( 江戸城平川口 ) に建立開基。


開山は本住院日住上人で、当初は本住院と称した。
道灌の跡を継ぎ城主となった嫡子・法恩斎の年忌に際し、孫の太田資高が寺号を法恩寺と改めた。


その後神田柳原、谷中清水町と移転した後、1695年 ( 元禄 8年 ) に現在地に移ったが、当時は塔頭 20ヵ寺・末寺 11ヵ寺を擁していた。


現在も日蓮宗・小西法縁内の法脈の一つである法恩寺法脈の脈頭寺院として大きな影響力を持つ。
また、隅田川川施餓鬼、七草粥、震災記念「思い出のすいとん会」、十五夜お茶会、年末餅つき会、花見の縁などの開催など、壇信徒のみならず地域社会・地元近隣町会との繋がりが大変に強い寺として知られる。


現在地の「太平 ( 町 )」の地名は、太田道灌の「太」の字と、山号平河山の「平」の二文字をとり命名されたものと言われている。


前住職、鈴木貫仁は昭和 47年に入寺し、東京小西法縁会会長や墨田区保護司会長、日蓮宗保護司会副会長、東京都東部宗務所長などを歴任し、平成 4年に大本山本圀寺 78世貫首 ( 加歴 ) に就任。 
さらに平成 15年には紀州徳川家の菩提寺として知られる本山報恩寺の 35世貫首に就任し現在にいたる。


現住職、鈴木貫元は副住職時代の平成19年に納骨堂「妙元廟」と日蓮聖人像を建立し、平成 20年に師父貫仁から法恩寺 56世として法燈を継承した。


文化財
・区登録文化財
・太田道灌家供養塔
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/441.html
427 池波正太郎墓(台東区西浅草1-6-2・西光寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5525.html

5026 太田道灌家供養塔(墨田区太平1-26-16・法恩寺)