酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4965 源森橋(墨田区向島1丁目)

源森橋の名前の由来は、現在の枕橋 ( 本橋から約二百メートル隅田川寄りの橋 )、古くは源森橋と呼ばれていたものが、明治初期に枕橋に正式決定されたことから、本橋を源森橋と呼ぶようになったことによるものである。


その昔、現在の枕橋 ( 旧源森橋 ) が関東郡代であった伊奈半十郎により中之郷瓦町 ( 現在の吾妻橋地区 ) から新小梅町 ( 現在の向島地区 ) に通ずる源森側 ( 現在の北十間川 ) に架けられた。


また枕橋 ( 旧源森橋 ) 北側にあった水戸屋敷内に大川 ( 隅田川 ) から引き入れた小さな堀があり、これに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。


この二つの橋 ( 旧源森橋、新小梅橋 ) は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称されるようになった。


その後、水戸屋敷内への堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅し、残った旧源森橋は明治初期に正式に枕橋と呼ばれることになり、旧源森橋の東側にあった本橋を源森橋と公称した。


現在の源森橋は、昭和三年に架設した鋼橋 ( 上路式アーチ橋 ) が約八十年経過し、老朽化したため、平成十九年三月鋼橋 ( 鋼床版鈑桁 ) に架け替えられたものである。
(碑文より)