酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4959 北村季吟墓(台東区池之端2-4-22・正慶寺)

季吟は江戸時代前期の歌人、俳人です。


通称を久助といい、拾穂軒と号してました。


はじめは祖父の宗竜、父の宗円を継いで医学を業としていました。


俳人・安原貞徳の門に入り、和歌・俳諧を学びました。


元禄十二年、再昌院法印の称を受けました。


著書に『徒然草文段抄』、『枕草子春曙抄』、『源氏物語湖月抄』その他があります。


宝永二年(1705)六月十五日、八十二歳で逝去しました。


円頂角石に楷書で「再昌院法印季吟先生」と題し、右側面には丸に井桁の家紋を書き、下に楷書で「花も見ず郭公をも待ち出つこの世後の世、おもふ事なき」と時世の句が刻まれています。


裏面には「宝永二乙酉六月十五日、八十二歳卒」と刻んでいます。
(案内板より)


● 北村季吟
北村 季吟(きたむら きぎん、寛永元年12月11日(1625年1月19日) - 宝永2年6月15日(1705年8月4日))は、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。名は静厚、通称は久助・再昌院、別号は慮庵・呂庵・七松子・拾穂軒・湖月亭。


経歴
出身は近江国野洲郡北村(現在の滋賀県野洲市)。祖父の宗竜、父の宗円を継いで医学を修めた。


はじめ俳人安原貞室に、ついで松永貞徳について俳諧を学び、『山之井』の刊行で貞門派俳諧の新鋭といわれた。飛鳥井雅章・清水谷実業(しみずだにさねなり)に和歌、歌学を学んだことで、『土佐日記抄』、『伊勢物語拾穂抄』、『源氏物語湖月抄』などの注釈書をあらわし、元禄2年(1689年)には歌学方として幕府に仕えた。以後、北村家が幕府歌学方を世襲した。


俳諧は貞門派の域を出なかったが、『新続犬筑波集』、『続連珠』、『季吟十会集』の撰集、式目書「埋木(うもれぎ)」、句集「いなご」は特筆される。山岡元隣、松尾芭蕉、山口素堂など優れた門人を輩出している。


台東区池之端の正慶寺に季吟の墓(東京都史跡)があり、墓石正面に「再昌院法印季吟先生」、墓石側面に「花も見つ 郭公(ほととぎす)をもまち出でつ この世 後の世おもふ事なき」と辞世の句が刻まれている。


主な著作
・『徒然草文段抄』
・『枕草子春曙抄』
・『伊勢物語拾穂抄』(延宝8年(1680年)刊行)
・『八代集抄』
・『万葉拾穂抄』
 
主な門人
・松尾芭蕉
・山岡元隣
・山口素堂
・田捨女


参考文献
・「北村季吟 この世のちの世思ふことなき」島内景二著(ミネルヴァ書房、2004年9月10日)ISBN 4-623-04055-0
・『北村季吟の人と仕事』野村貴次著(新典社、1977年)
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2785.html
2515 服部南郭墓(品川区北品川4-11-8・東海寺大山墓地)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5558.html

5056 北村季晴墓(台東区谷中4-2-5・瑞輪寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5559.html
5057 北村季林墓(台東区谷中4-2-5・瑞輪寺)