酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4957 森鴎外旧居跡(台東区池之端3-3-21)

森鴎外は文久二年(1862)正月十九日、石見国津和野藩典医(いわみのくにつわのはんてんい)・森静男の長男として生まれた。


本名を林太郎という。


明治二十一年(1889)三月九日、海軍中将・赤松則良の長女・登志子と結婚し、その夏に根岸からこの地(下谷区上野花園町十一番地)に移り住んだ。


この家は、現在でもホテルの中庭に残されてる。


同年八月に『国民之友』夏季附録として、『於母影(おもかげ)』を発表。


十月二十五日に文学評論『しがらみ草子』を創刊し、翌二十三年一月には処女作『舞姫』を『国民之友』に発表するなど、当地で初期の文学活動を行った。


一方、陸軍二等軍医正に就任し、陸軍軍医学校教官としても活躍した。


しかし、家庭的には恵まれず、長男於菟(おと)が生まれた二十三年九月に登志子と離婚し、翌十月、本郷区駒込千駄木町五十七番地に転居していった。
(案内板より)


 台東区池之端3丁目に「水月ホテル鴎外莊」が有ります。
http://www.ohgai.co.jp/


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/255.html
251 観潮楼跡(文京区千駄木1-23-4・団子坂上)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2146.html
1962 森鴎外住居跡(墨田区向島3-37-38)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5446.html

4953 森鴎外旧居・橘井堂森医院跡(足立区千住1-30-8・足立都税事務所)