酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4956 幸堂得知髭塚(台東区谷中1-6-27・金嶺寺)

幸堂 得知(こうどう とくち、本名:高橋利平、天保14年(1843年)1月 - 大正2年(1913年)3月22日)は、明治時代の文人。黄表紙の流れを汲む軽妙な滑稽味が持ち味の作家。


「江戸通人の風格」[1]を持つ演劇通で、多くの劇評を新聞紙上などで発表した。、饗庭篁村らと親しく、根岸派の1人と目された。


生涯
・1843年(天保14年)、江戸下谷車坂町に生まれる。父は青物商高橋彌平、高橋夢叟として『上野公園沿革史』の著者でもある。


・1869年(明治2年)、三井両替店(のちの三井銀行)に入社。


・1870年、上司の鈴木利平の養子となる。


・1878年以降、時折、文章を読売新聞紙上で発表するようになる。


・1888年、三井銀行を退職。


・1889年以降、本格的に文筆で身を立てるようになる。


・1891年、東京朝日新聞に入社。


・1892年より「歌舞伎新報」編集に携わる。


・1913年(大正2年)、死去。
 

1. 越塚和夫編の年譜
(wikiより)


 無縁墓に合祀され故人の墓はないが、没後に家人が髭を埋めた髭塚があり髭を埋めた髭塚があり「散る花の中に一本桜かな 得知」と刻まれている。