酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4954 多坂梅里先生追悼碑(足立区千住仲町4-1・源長寺)

寺子屋の発祥は享保年中(1716~35)と伝わるが、この多坂梅里先生の追悼碑は、同時期の寺子屋教育の内容を伝える貴重な教育資料である。


碑文によれば、梅里先生は信濃上田侯の世臣(せいしん)であったが、享保年中千住駅に寓居し、医を業としながら寺子屋を開いた。


以来約五十年間、掃部宿(かもんじゅく)・河原町・小塚原町の男女、小長を問わず教育し、もっとも盛んなときは塾生が数百人に及んだ。


その教育法は書法を教えるのみでなく、職のことから掃除、礼儀作法まで全人的教育をし、たいへん厳しかった。


しかし、これは慈愛の至誠から出たことであったから、子弟はみな先生を親愛畏敬しその教えに浴したので、千住の風俗が美しくなったとある。


梅里先生は、天明九年(1789)九月二日没した。
(案内板より)