酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4953 森鴎外旧居・橘井堂森医院跡(足立区千住1-30-8・足立都税事務所)

● 森鴎外旧居・橘井堂森医院跡
森鴎外の父 静男は、元津和野藩主亀井家の典医てせあったが明治維新後上京し、明治十一年(1878)南足立郡設置とともに東京府から郡医を委嘱されて千住に住んだ。


同十四年郡医を辞し、橘井堂森医院をこの地に開業した。


鴎外は十九歳で東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医副に任官し、千住の家から人力車で陸軍病院に通った。


こうして明治十七年ドイツ留学までの四年間を千住で過ごした。


その後 静男は、明治二十五年、本郷団子坂に居を移した。


● 千住で始まった文筆活動(明治十四年)
千住に居住している頃、上図(画像 5)のように明治十四年九月十七日付『讀賣新聞』に「千住 森 林太郎」の本名で寄書(投稿)欄に一文を寄せ、当時の一流文筆人を堂々と批判する文章を発表するなど、文筆活動を始めていた。


明治二十三年には作品『舞姫』を「森鴎外」の名前で発表した。


また、千住仲町に隠棲していた元幕府医学館教授・佐藤應渠(おうきょ)[元萇 げんちょう]のもとに通い漢詩の手ほどきをうけていた。


漢詩作品も数多く、発表された作品のなかには、「訪應渠先生千住居」「呈應渠先生」「訪應渠先生居偶作」などがある。


これらの漢詩は、佐藤應渠をたたえるとともに、應渠が医療活動をしていたことや、詩作に精通していたことを伝える内容ともなっている。


これらの作品は明治二十四年頃に精力的に発表されているが、この年、鴎外は二十九歳・医学博士となっている。


● 千住から医師開業免状申請書を出す
明治十四年十月二十三日付で、南足立郡千住一丁目十九番地から医師開業免状を申請した。


● 「千住の鴎外碑」の碑文 小説『カズイスチカ』(明治四十四年に発表された作品)について


鴎外は、明治四十二年・四十七歳の時に文学博士となった。


かつて千住宿の町医者であった父・静男が毀誉褒貶(きよほうへん)に無頓着で、貧富の差なく真摯に患者に接していた姿を思い起こし、改めてその生き方に感動し敬愛の念を深めていった自分自身のことを題材にした作品である。
(案内板より)


 台東区池之端3丁目に「水月ホテル鴎外莊」が有ります。
http://www.ohgai.co.jp/



関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/255.html
251 観潮楼跡(文京区千駄木1-23-4・団子坂上)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2146.html
1962 森鴎外住居跡(墨田区向島3-37-38)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5446.html

4953 森鴎外旧居・橘井堂森医院跡(足立区千住1-30-8・足立都税事務所)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5451.html
4957 森鴎外旧居跡(台東区池之端3-3-21)