酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4789 佐野 実墓(横浜市戸塚区戸塚町4907・清源院)

佐野さんを見たのは、2004年「サザンオールスターズ 暮れのサナカ」の年越しライブ(12月31日)の日で横浜プリンス地下のスーパーでした。


腕を組んで「イカツイ」感じでしたが、目が笑っていたように感じました。






佐野 実(さの みのる、1951年4月4日 - 2014年4月11日[1][2][3][4])は、日本の実業家で、ラーメン店「支那そばや」創業者。神奈川県横浜市戸塚区出身。血液型A型。メディアに多数出演し、「ラーメンの鬼」の異名で知られた[5]。


経歴・人物
神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生まれた。家が貧しくつねに空腹だったため、幼いころから「将来の夢はラーメン屋か寿司屋になること」と言っていたらしい(本人は記憶していない)[6]。父親は酒乱気味で、少年時代の佐野に度々暴力を振るっており、時には庭の樹木に縛り付けた事もあったと言う。その影響からか、本人も短気ですぐ「キレる」性格故、同級生への暴力行為を理由に幼稚園を退園処分になった事もあった。横浜市立戸塚小学校、横浜市立戸塚中学校時代は新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして小遣いを稼ぎ、その金でラーメン屋に通った。中学生のとき初めてラーメンを作って家族にふるまい、旨いと褒められた。また、母親は本人を身籠っていた時からラーメンを食べ続けており、本人曰く「ラーメンが胎教代わりだった」との事。


中学生時代のクラブ活動は園芸部。当時好きな女子生徒に近付きたくてその女子生徒と同じ園芸部に入ったという。これがきっかけで花が好きになり、将来は育種家か園芸家になろうと思って[7]神奈川県立平塚農業高等学校園芸科を受験したが不合格となった[8]。なお、花は派手な物、大きな物よりもあまり目立たないような小ぢんまりしたような物を好み、一番好きな花はミヤコワスレであるとも述べている[9]。また、アルバイトで飲食業の仕事をし出したのはこの頃で、金がかかる園芸の資金稼ぎにと甘味屋や純喫茶などで仕事をするうち、だんだん飲食業が楽しくなっていったという[7]。


私立藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校、男子校)に進学し、野球部に所属してプロ野球を目指したが、チームメイトに後に読売ジャイアンツなどで投手として活躍した小俣進がいたため、実力の差を知り、プロ野球への夢を諦めた。その小俣とは高校卒業後もずっと親交が深く[10]、小俣は佐野の店に時々ラーメンを食べに来たりもしていた[11]。なお、野球部退部後、高校を卒業するまで応援団に所属して活動しており、小俣が不甲斐ない成果を見せた時は叱咤激励していたとのこと[11]。学校の近くに好きなラーメン屋があり、毎日のように登校前と昼休みの2回食べに行った[6]。


高校卒業後、横浜ドリームランド内の不二家レストランに就職。同店のカレーライスが好きで、1ヶ月近く通い詰めるほど旨かったからという[12]。以後ずっと洋食の世界ですごし、28歳から34歳までは管理職(店長)を務める傍ら趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていたが、独立してラーメン店を開きたいという思いが募り、「修業はした方がいい」と言う地元・戸塚の飲食店組合融資部長が斡旋した湯河原の青竹手打ち麺が売り物のラーメン店で1週間修業したのち[13]、実兄の資金援助を受けて1986年8月に藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開店した。店名については、自分の原体験から「ラーメン」より「支那そば」という名称の方が馴染みがあったとのことで、前述の融資部長のアドバイスも受け入れた上で決めた[13]。初めは思うような味が作れず、客も少なく、厨房で涙を拭った事もあるという。店の経営がようやく軌道に乗りはじめたのは、2年後の1988年ごろである。2000年からは藤沢の店舗は佐野の弟子に譲ったが、辞めてしまった為2004年に閉店している[14]。


ラーメンの世界で唯一頭が上がらない人物として、旧「東池袋大勝軒」店主の山岸一雄の名を挙げている[15]。


2000年以降、2008年11月に自身の出身地である横浜市戸塚区に移転した「支那そばや」本店と、新横浜ラーメン博物館店を営業している。本店の開店と同時に、「「ラーメンの鬼」佐野実の厳選ブログ」を開設した[16]。


2009年5月に駒沢オリンピック公園で行われた「ラーメンShow in Tokyo 2009」など、近年のラーメン関係のイベントでは、「佐野JAPAN」[17]というチーム名で出店している。これは、佐野を師と仰ぐラーメン店の店主たちが集まったチームであり、支那そばや同様あっさり系スープの店が多い。イベントではHEY!たくちゃんにものまねされることも多い。なお、弟子については授業料をもらう代わりに技術を教え、独立した時には佐野自身が食材の斡旋をしていた。独立以後の弟子についてあまりこだわらなかったところ、閉店する店も出て来たため、この反省を踏まえて「最低3年から5年は修業してもらい、自分が納得するまでは独立させない」方針に転換した。「俺のと同じ味は作れないが、俺のよりうまいラーメンは作れる」と教えていたと言う[18]。


人前で涙を見せることはなかった佐野だが、弟子の一人であるHEY!たくちゃんが『東京ラーメンショー2011』の『NRA杯 ラーメンコンテスト バトプリ2011』で優勝したという連絡を受けた時、トイレに駆け込んで一人でこっそり泣いていたとのことで、佐野の妻で株式会社エヌアールフード代表取締役である佐野しおりは「夫が泣いている姿を見たのはその時だけ」だったという[19]。


2014年4月11日午前2時57分、多臓器不全のため川崎市の病院で死去。関係者によると、2006年頃から10年近くに亘り糖尿病を患っており、同年2月中旬より体調を崩していたという。63歳没[1][2][3][4]。亡くなる数日前に佐野自身が最後に口にした物もやはりラーメンで、本人が病室のベッドの上で「ラーメンを食いたい」と発言し、病室のベッドの上で佐野の弟子らが作ったラーメンのスープをやや薄めた物を食していたと言う。その際、本人は「薄くて不味い、毎日店でこんな物出しているのか」と言いながらも最後までそのラーメンを食していた。


私生活では息子と娘が一人ずつ居り、佐野の店舗は娘が継いでいる。息子は愛媛県今治市でイタリア料理店を経営している。


こだわり
麺は自家製麺しており、新しい麺の開発にも積極的である。新横浜ラーメン博物館店で使用している「絹越和伊麺」(きぬこしわいめん)[20]は、イタリア産のデュラム・セモリナ粉と、国産小麦『ハルユタカ』をブレンドしたものを用いている。製麺機から出来た麺は木箱に入れ、2〜4分間、少し蓋を開けて放置。その後高湿冷蔵庫(高級蕎麦屋で使われている)でひと晩保管して熟成させる[21][22]。


戸塚本店では、スープに使う鶏ガラは名古屋コーチン[23]、麺に使うかん水はモンゴル産[24]、[25]。具のネギは九条ネギ[24]、醤油味と塩味で分けている器は有田焼などと、高価なものを使用している[26]。他に具材は、豚肉は中型のヨークシャー種中心[27]、スープ材に焼きアゴ(アゴとはトビウオの幼魚)を使用しているとも述べている[28]。スープに使われている水もスープのコクを生み出す為にセラミックスを用いてアルカリ性に変換している。その為、価格設定も他の同業界に比べかなり高めとなっている。


藤沢時代は、香水の匂いが強い人の入店・店内での私語・喫煙・携帯電話の使用・ベビーカーを引き連れての乳幼児との入店が一切禁止とされていたが[29]、こういったことは佐野自身が決めたわけではなく「私語が出来ないような雰囲気の店である」ことをマスコミが演出した結果こうなったらしいともされており[30]、佐野自身は「香水・私語・携帯電話・タバコの煙はラーメン作りの全てを台無しにしてしまう物。自分の作っているラーメンを客には最高の状態で味わってもらうべき」と主張を持っていた。店内の私語については「当店のラーメンは麺が細麺で伸びやすいから食事中は静かにと言っているだけ」と述べているほか、香水については「香水の匂いがきつい女性客が来店した事があったからでその匂いがラーメンの風味を壊している」とコメントしている[30]。その旨の注意喚起の張り紙も店内に掲示されていた。また、過去には泥酔した客に対して刃物を振り回して「お前らは客じゃない、金は取らないから出て行け」と追い出した事もあった[31][32]。


その他、麺の出来に納得いかない時は店を臨時休業したり[33]、スープを残す客に対して「残すなら最初から食うな」と本人が発言している[32]。又、営業時間も昼間の数時間のみと非常に短いほか、他のラーメン店で見られる様な餃子やチャーハンといったサイドメニューの提供も無い。


詳しい事は、『佐野 実ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%AE%9F
(wikiより)


 佐野 実


 「支那そばや」脇の清源院です。