酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4748 二代目・桂小文治墓(台東区上野桜木1-16-15・寛永寺)

2代目(一説には初代)桂 小文治(かつら こぶんじ、1893年(明治26年)3月28日 - 1967年(昭和42年)11月28日は、大正・昭和期に活躍した落語家。本名は稲田 裕次郎。出囃子は『野崎』。


人物・生涯
現在の大阪府大阪市港区出身。1906年(明治39年)ころ、7代目桂文治門下となり9代目桂小米。1915年(大正5年)、2代目桂米丸襲名。三友派若手の有望株として踊り、声色で活躍する。


1916年(大正6年)10月、東京寄席演芸会社の招きで上京し上席に出演。当初1か月の契約だったのが、そのまま東京に定住。1917年(大正7年)5月、下席から桂小文治に改名し真打昇進。1922年(大正11年)4月、落語睦会に移籍。6代目春風亭柳橋、(俗に)3代目春風亭柳好、8代目桂文楽と並ぶ「睦の四天王」の一角として人気を得る。その後日本演芸協会、さらに日本芸術協会(現:落語芸術協会)に加わり、副会長として、会長6代目春風亭柳橋を補佐する。上方噺家でありながら、東京落語界の幹部となった。


また、小文治は東京に行ったのち、師匠文治の引退興行の時に大阪に顔を出したが、小文治を可愛がっていた4代目橘家圓蔵が引退する文治よりも小文治の宣伝をしたため、小文治の兄弟子初代桂春団治が激怒し、止めに入った小文治を蹴飛ばし、舞台上で圓蔵を罵倒した、それがゆえに大阪へ戻れなくなり、東京に骨を埋めることとなったといわれている。


2代目三遊亭百生と共に、上方落語を東京で紹介した業績は大きい。また、第二次世界大戦後は、衰亡していた上方落語復興のため、当時の若手6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝らを支えた。戎橋松竹や道頓堀角座にも定期的に出演していた(ただし、肩書きは「東京落語」であった)。


面倒見の良い性格で、他所の門を失敗した落語家を引取ったため、門人も多かった(このため、小文治一門は現在、芸術協会の大半を占め、80名の真打の中で50名以上いる)。


1961年、文部省芸術祭奨励賞受賞。


1967年11月28日死去。74歳没。墓所は寛永寺第一霊園。戒名は生前からすでに用意していた「芸能院小文治居士」。小文治没後の副会長は総領弟子5代目古今亭今輔が就任した。


芸風
始めは上方仕込の芝居噺や、江戸弁と上方弁をミックスした新作落語を演じていたが、晩年は、本格的な上方落語を演じる様になった。


得意ネタは芝居噺では『加賀見山』『質屋芝居』『蛸芝居』『蔵丁稚』、音曲噺では『紙屑屋』(1961年度文部省芸術祭奨励賞受賞)『辻占茶屋』『稽古屋』。本格派の落語では『しじみ売り』『木津川』『百年目』『菊江の仏壇』『七度狐』『出歯吉』『正月丁稚』『稲荷車』『鳥屋坊主』『立ち切り』など。踊りの名手で、一席終わった後「目をごらん。」と言いながら躍る『奴さん』『名古屋甚句』などは、寄席の踊りとして絶品であった。


一門弟子
孫弟子などは小文治一門を参照。
・高砂家ちび助(1905年 - 1983年2月2日)。元々桂小文治門で桂小助であったが、後に高砂家吉右衛門門下。客席から「ちび助!」と言われたので、改名した。「のろまの蠅取り」などの珍芸で『花王名人劇場』などに出演。享年78。


・桂木東声。元浅草の活動弁士で小文治門になったが、後に講談師を経て漫才に転じ、初代春風小柳、2代目三遊亭小柳、戦後は京乃春風と相方が変わった。


・5代目古今亭今輔(元は3代目柳家小さんの弟子だったが、後に小文治一門に移籍。小文治の前名「桂米丸」の3代目を名乗る。)


・2代目桂枝太郎(元は6代目春風亭柳枝の弟子だったが、後に小文治一門に移籍。)


・4代目三遊亭圓遊(元は6代目雷門助六の弟子で、一時期幇間をしていたが戦争で禁止され、落語界復帰時に小文治一門に移籍。)


・2代目桂小南(元は3代目三遊亭金馬の弟子だが、戦後フリーとなり、小文治一門に移籍。)


・10代目桂文治
・2代目桂小金治
・9代目土橋亭里う馬(元は8代目桂文治の弟子だが、芸術協会移籍と共に小文治一門に移籍)

・2代目文の家かしく
・春風亭枝葉
・三遊亭圓駒
・悠玄亭玉介(幇間、桂小祐の名で小文治門下に在籍していたことがある)
・宮尾たか志(漫談、司会者、3代目柳家つばめの実子。)
(wikiより)


 二代目・桂小文治