酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4736 虫塚(台東区上野桜木1-14-11・寛永寺境内)

虫塚は、伊勢(現・三重県)長島藩主である増山雪斎により、写生にに使った虫類の霊をなぐさめるため、文政四年(1821)に建てられたものである。


増山雪斎は、宝暦四年(1754)の生まれ。本名を正賢といい、雪斎はその号であるが、玉園・蕉亭・石顛道人・巣丘隠人など多くの別名がある。


江戸の文人太田南畝や大坂の豪商木村兼葭堂など、広く文人墨客と交流を持ち、その庇護者としても活躍した。


自ら文雅風流を愛し、清朝の画家、沈南蘋に代表される南蘋派の写実的な画法に長じ、多くの花鳥画を描いた。


中でも虫類写生図譜「虫豸帳」は、その精緻さと本草学にのっとった正確さにおいて、殊に有名である。


文政二年、六十六歳で没した。


虫塚は、当初、増山家の菩提寺、寛永寺子院勧善院内にあったが、昭和初期に寛永寺に合併されたため、現在の場所に移転した。


勧善院は、四代将軍徳川家綱の生母で、増山氏の出である宝樹院の霊廟の別当寺として創建された。


碑は自然石で、正面は、葛西因是の撰文を大窪詩仏が書し、裏面は、詩仏と菊池五山の自筆の詩が刻まれており、当時の有名な漢詩人が碑の建設に関わったことが知られる。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1015.html
934 墨多三絶の碑(墨田区東向島3-5-2・白鬚神社内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3266.html
3043 無琴道人墓銘(墨田区堤通2-17-1・隅田川神社)