酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4636 久坂玄瑞誕生地(萩市平安古町537-2)

毛利輝元公の墓所から歩いて周遊バスに乗り萩旧市街へと来ました。


今回の岩国、防府、萩旅行も最期の観光になりました。




高杉晋作とともに“松下村塾の双璧”と称されていた幕末の志士・久坂玄瑞の旧宅跡。

久坂玄瑞は、天保11年(1840)、萩藩医・久坂良迪(りょうてき)の三男として平安古に生まれました。17歳のときに高杉晋作らと共に松下村塾で学び、のちに藩校明倫館に学びます。

吉田松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と絶賛された玄瑞は、18歳のときに松陰の妹・文(ふみ)と結婚しました。

長井雅楽の提唱した航海遠略策に反対し、藩論を尊攘討幕に一変。英国公使館焼き打ちや下関の外国船砲撃に参加しました。元治元(1864)年の禁門の変(蛤御門の変)で、幕府方諸軍と戦い、流弾を受け負傷。享年25歳という若さで自刃しました。 

現在は、長州に亡命した尊王攘夷派公卿の1人、三条実美が詠んだ追悼の和歌を刻んだ石碑が建てられています。


中央公園の一角に、平成27年1月 久坂玄瑞進撃像が建立されました。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/307.html
294 角屋(京都市下京区西新屋敷揚屋町32 )


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3698.html
3442 久坂玄瑞墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)