酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4633 萩城址碑(山口県萩市堀内)

この石碑は、大正8年(1919)11月、侯爵・毛利元昭によって建てられ、萩城の来歴を記したもので、子爵・杉孫七郎の撰文、高島張輔(日本画家・高島北海の実兄)の書である。


萩城は毛利輝元によって築城され、慶長9年(1604)に工事に着手し、4年後の慶長13年に完成した。


以後260年間、萩藩主の居城として、また周防・長門両国の藩政の中枢機関として偉容を誇った。


しかし、第13代藩主・敬親の代に至り、幕末の多端な国事の処理に不便なため、文久3年(1863)4月、藩府を山口に移した。


その後、藩主の居館、諸役所などが漸次取り除かれついに明治6年(1873)には政府から萩城払い下げが下り、翌年天守閣、矢倉などすべてが解体された。
(案内板より)



では萩城から出て数分の場所に有る『 毛利輝元の墓 』に行きましょう。