酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4627 前田孫右衛門之碑(山口県萩市堀内)

前田孫右衛門は、文政元年(1818)7月28日萩に生まれ、名は利済、字は致遠、隆山または行蔵独倚楼などと号した。


萩藩八組士(禄高173石余)で、藩校明倫館に学んだ。


寛容で文雅の嗜みがあり、同輩は彼を擁して長者とし、吉田松陰からも尊敬された。


藩の首脳部の中で、松陰の間部老中要撃策を是認したのは、彼だけである。


松陰死後、その門下生と交わり、一銭燈中合に参加した。


当職手元役・当職用誠役・直目付など藩の要路にあって、藩主の信頼があつく、よく献策した。


同年12月19日野山獄(萩市今古萩町)で同志6人とともに刑死した。年47。


明治24年(1891)正四位を贈られた。


旧宅は萩市江向水車筋。墓所は東光寺(萩市椿東椎原)。


この碑は、大正5年(1916)3月に建てられ、前田孫右衛門の外孫・井上清介の構文、教育者・安藤紀一の書である。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/208.html
204 間部詮勝寓居跡(寺町通り二条下がる)

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/4981.html
4521 前田孫右衛門招魂碑(山口県萩市椿東1647)