酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4619 小田村伊之助(楫取素彦)旧宅地(萩市南古萩町)

萩旧市街は、意外と狭いので徒歩でも簡単に観光出来てしまいます。





楫取素彦は文政12年(1829)、萩藩医松島瑞璠の次男として萩に生まれ、12歳の時に萩藩の儒者・小田村吉平(きっぺい)の養子となり、小田村伊之助と名乗った。


藩校明倫館で儒学を講じ、嘉永6年(1853)吉田松陰の妹・寿(ひさ)と結婚した。


松陰の再入獄後は後継者として、松下村塾でも指導にあたった。


慶應元年(1865)の四境(しきょう)戦争(幕長戦争)では幕府側との交渉にあたり、慶応3年(1867)藩命により楫取素彦と改名した。


明治9年(1876)初代群馬県令となり、同17年(1884)まで蚕糸業の振興や教育の充実に尽力した。


明治14年(1881)寿と死別後、同16年に松陰の妹で久坂玄瑞の未亡人・文(踏み = 美和子)と再婚した。


大正元年(1912)没、享年84。


この場所には、楫取素彦が養嗣子となった小田村家があった。


小田村家は代々、藩校明倫館の儒官をつとめた家柄であり、楫取素彦は義父が没した弘化4年(1847)19歳のときに家督を相続、明倫館の講師となり、儒者として道を歩み始めた。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3930.html
3645 揖取素彦墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


 揖取素彦