酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4607 金子重輔君絶命之痕(萩市大字今古萩町)

金子 重之輔(かねこ しげのすけ、天保2年2月13日(1831年3月26日) - 安政2年1月11日(1855年2月27日))は幕末の長州藩士である。


名は貞吉。別称に卯之助、直三郎、重輔。渋木松太郎、市木公太という変名を用いた。


長門国阿武郡紫福村商人・茂左衛門とつるの長男として生まれる。後に足軽の金子家の養子となる。幼時より白井小助、次いで土屋蕭海に学び嘉永6年(1853年)、家業を嫌って江戸に出て長州藩邸の雑役となる。同年、熊本藩士・永島三平を伝にして吉田松陰と出会いその弟子となる。嘉永7年(1854年)、アメリカ合衆国の東インド艦隊再来に際して松陰と共に渡米を計画して藩邸を脱走。鳥山確斎の私塾に寄宿して、世界地誌を学びながら機会を窺った。日米和親条約が締結されると松陰と共に下田へ赴いて米艦に乗り込もうとするがアメリカ側に拒否されたためにやむなく計画を中止、自首した。伝馬町牢屋敷に収容後、国許に蟄居の判決を受け、幕吏によって萩へ檻送され安政2年(1855年)、士分以下の者が入る岩倉獄で病没した。


贈正五位。墓所は山口県萩市北古萩町の保福寺。享年25(満23歳没)。 金子重之輔の像は、吉田松陰誕生地にある松陰の銅像のそばで松陰を見上げる姿で残っている。


登場する主な作品
・花神 - 1977年、NHK、演:岡本信人
・龍馬伝 - 2010年、NHK、演:尾関伸嗣
・花燃ゆ - 2015年、NHK、演:泉澤祐希
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5073.html
4603 金子重輔墓(萩市北古萩町・保福寺)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7927.html

6915 吉田松陰拘禁の跡(長命寺跡)(下田市4丁目6・下田市立中央公民館前)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7962.html
6948 吉田松陰像(下田市柿崎122・三島神社)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7986.html

6970 吉田松陰踏海の企跡(下田柿崎弁天島)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/7987.html

6971 吉田松陰・金子重輔先生踏海企の跡(下田柿崎弁天島)