酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4605 岩倉獄跡(萩市大字今古萩町)

正保 2年 ( 1645 ) 9月 17日夜、藩士・岩倉孫兵衛 ( 大組・禄高 200石 ) は酒に酔って道を隔てた西隣の藩士・野山六右衛門 ( 大組・禄高 200石 ) の家に切り込み、家族を殺傷した。


この事件のため、岩倉は死刑となり、両家とも取りつぶされ、屋敷は藩の獄になった。


野山獄は上牢として士分の者の収容を、岩倉獄は下牢として庶民を収容した。


なお、現在の指定地は獄の一部分である。


幕末、吉田松陰は海外渡航に失敗したのち野山獄に、その従者・金子重之助 ( 重輔 ) 岩倉獄に投ぜられた。
(案内板より)


● 岩倉獄
岩倉獄(いわくらごく)は、江戸時代に長州藩によって萩に設けられた獄屋敷である。


概要
長州藩には士分(武士階級)の者を収容する上牢である野山獄と、士分以外の者を収容する下牢である岩倉獄が設けられた。


長州藩の大組藩士であった野山六右衛門の屋敷と、同じく大組藩士であった岩倉孫兵衛の屋敷は道路を隔てて向かい合わせであった。正保2年(1645年)9月17日の夜、岩倉孫兵衛が酒に酔って野山六右衛門の屋敷に押し入り、家族を殺傷する事件を起こした。この時、岩倉孫兵衛は野山宅に幽閉され、のちに斬首の刑に処された。しかし、喧嘩両成敗により両家は取りつぶしとなり、屋敷が没収され、後に屋敷跡は牢獄に立て替えられた。


切り込んだ岩倉家側に非があるとして、岩倉獄は下牢とされた。野山獄とは異なり環境が劣悪で、着物や食べ物が満足に与えられなかったため、吉田松陰と共に黒船で密航を企てた金子重之輔は岩倉獄で病死している。


現在は史跡として整備され、重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てられている。


関連項目
・萩市観光協会公式サイト 岩倉獄跡
(wikiより)