酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4367 旧前川邸(京都市中京区壬生賀陽御所町49)

文久3(1863)年から2年間、新選組の屯所となった建物。


前川家は中祖に越前の国主・朝倉左衛門督義景を持ち、天正元(1573)年、織田信長によって落城の折、近江国に逃れ、のち姓を前川と改める。


その後、宝暦4(1754)年、京に移り住み、掛屋、糸割符仲間等の商いで成功を収め、天保時代に当主前川荘左衛門義陳の子が壬生の八木重次郎家を相続し、次の代に姓を八木から前川に改め、壬生の前川家となった。(「由緒并親戚書」による)


当時、前川本家(京都六角)は、掛屋として御所や所司代の公金の出納、奉行所の資金運用の仕事など、色々な公職を兼ねていたため、奉行所や所司代との密接なつながりがあった。


上洛する浪士組(後の新選組)の宿舎を選定するにあたり、市中情勢にも詳しく、役人の信頼も厚かったことから、前川本家が、その仕事を任された。


前川本家では、壬生の地が京の町はずれにありながら、二条城に近いという点で、地理的条件にも合ったことから、自分の身内である前川荘司の屋敷を提供。浪士組は前川邸を中心に八木邸、南部邸(現存していない)、新徳禅寺に分宿した。


これが新選組の出発点となった。