酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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4244 アンドレ・ルコンテ墓(横浜市中区山手町96・横浜外国人墓地)

André Roger Lecomte.


アンドレ・ルコント ( André Lecomte, 1932年 - 1999年 ) は日本で初めてフランス菓子専門店を開いたフランス人パティシエ。
 
現在の日本におけるスイーツブームの草分け的存在である。


経歴
パリの南、ロワールの地主の生まれ。
 
13歳でお菓子の世界に入り、1945年 14歳 モンタルジーで一番腕のよいマイスター マルセル・ルナン氏のもとで見習いとして修業。
 
16歳のときパティシエとしての国家試験に合格。
 
兵役後、パリの高級ホテル「ジョルジュ・サンク」( 当時 4つ星 ) に入社。


20代前半でスーシェフ ( 副シェフ ) になると、ホテルの常連客に呼ばれて、世界各地に足を運ぶ。
 
東京オリンピックを翌年に控えた 1963年、ホテルオークラのシェフ・パティシエとして初来日。
 
日本に本場の技術を広めるため寝る間も惜しんで働き、本格的な砂糖菓子の彫刻を日本で最初に広めた。
 
1968年12月17日、六本木に今や伝説となる「A.ルコント」をオープン。
 
日本人に本場フランスの味をよく知ってもらおうと、フランスと同じ材料・同じレシピにこだわった。
 
“Tout a la Française”( 万事、フランス流に… ) が、彼の信念である。
 
その頑固なほどの味へのこだわりが皇室やフランス大使館をはじめ、各国大使館や政府官庁なども支持され、現在でも御用達になっている。


併設されたサロン・ド・テには、一流芸能人や政・財界人まで、時代を代表する顔ぶれが集まったという。
 
キッチンの拡大の為、1978年本店を六本木から青山に移転 ( 一時、キッチンを三田にも増設 )。


続いて、新宿伊勢丹店・日本橋店・銀座店 ( ともに三越 )・丸の内店 ( 現在は閉店 ) をオープンさせる。


1994年、食事も楽しめる「ブラッスリールコント」を青山にオープン。


2007年には 新宿高島屋店・「ルコント」の故郷でもある六本木に東京ミッドタウン店を相次いでオープン ( 2007年当時、都内 6店舗 )。
 
アンドレ・ルコントはシェフとしても一流で、東京サミットの際は、フランス大統領主催晩餐会の料理も担当していた。


フランス料理アカデミー日本支部の初代会長を務める。


現在は、古くからの友人でもあるジョエル・ブリュアンが 2代目を務めている。


その他の親しい友人には、ポール・ボキューズやジョエル・ロブションなどの料理人、ピエール・エルメの師匠であるガストン・ルノートル ( 菓子職人 )、日本のフランスパンの父であるフィリップ・ビゴ ( パン職人 )、前フランス大統領のジャック・シラクがいる。
 
オープン当時、フランスの材料を手に入れることが非常に困難であり、今では、お菓子には欠かせない菓子材料を輸入する会社を築いたのもルコントである。
 
1999年に68歳で亡くなった後は、マダム・ルコントと彼の遺志を引き継ぐ職人達によって継がれており、「現存する最古のフランス菓子専門店」として、日本のフランス菓子界を引っ張っている。
 
ルコントの遺志を引き継ぎ活躍する主なオーナーパティシエに、島田進 ( パティシエ・シマ )、大山栄蔵 ( マルメゾン )、東健司 ( キャトル )、豊田英男 ( ペルージュ )、魵澤信次 ( レ・アントルメ )、加登学 ( ロワゾー・ド・リヨン )( 以上東京 )、蛭町裕司 ( コム・アン・プロバンス )( 神奈川・湘南台 )、目黒英治 ( ガトーめぐろ )、池田一紀 ( カズノリ・イケダ )( 以上宮城・仙台 )、上田真嗣 ( ラトリエ・ドゥ・マッサ )( 兵庫・神戸 )、ステファン・セッコ ( SECCO )( フランス・パリ )など多数いる。
 
その他にも、料理研究家 いがらしろみ、内閣官房国家戦略室 古川国家戦略担当大臣より、2012年感謝状を授与された フランスで活躍中の佐藤亮太郎など。
 
2005年 3月より、日本に初めて本場のフランス菓子を紹介した彼の冠名をつけた世界に通用する洋菓子職人を発掘するコンクール『アンドレ・ルコント杯』が開催されている。
 
「2010年 9月 26日 15:00をもって完全閉店」と突然発表する。 理由の 1つにオーナーであるマダムの高齢と跡継ぎ問題いわれている。
 
日本のフランス菓子の草分けである店の突然の発表により、42年の歴史に幕を下ろす。
 
「現存する最古のフランス菓子専門店」の存続を望む多くの声を受けて、 3年後の 2013年 3月 10日 アンドレ・ルコントの信念である”Tout a la francaise. ( 万事、フランス流に。 )”を、しっかりと受け継ぎ「懐かしくてあたらしい」というコンセプトのもと 広尾に「ルコント広尾店」再オープン。 六本木で 3年間、そして青山に移転した「A.ルコント」で総製菓長としてルコント氏の片腕として活躍した島田進 ( パティシエ・シマ ) が監修し、 青山時代の「A.ルコント」でパティシエとして活躍してきたシェフ・パティシエがルコント氏の遺志を引き継ぎながら味を再現している。
 
エピソード
・パリでのスーシェフ時代、ケネディ一家の為にジャマイカのリゾートホテルに滞在し、ジャクリーン夫人の好みのクレーム・カラメルを作ったこともある。
 
・イランのパーレビ国王にも可愛がられ、イラン王室に招聘された。同時に王室ホテル インターナショナル・イランのケーキ指導を拝命。
 
・オープン当時、菓子材料をフランスからまとめて仕入れていたため、リキュールやバターなどが 1年分届き保管スペースが大変だという。
 
・バブル時代に銀行から「融資するから 13億円のビルを買いませんか?」と本社ビル建設の話を持ちかけられて、「職人にビルはいらない」とあっさり断わった。
 
・ルコントは、食べ物のロスには厳しい人だったため、使える食材を捨てていないか、抜き打ちでゴミ箱チェックをしていたという。
 
・料理の鉄人でお馴染みの石鍋裕 ( クィーン・アリス ) が昔、自分のお店のデザートに出すため シャルロット・オ・ポワールをよく買いに来ていたと言われている。
 
スペシャリテ
・スウリー - ルコントが「ジョルジュ・サンク」時代に考案したネズミの形をしたシュークリーム。「子供達も楽しくなるお菓子を」と言う思いから生まれた。


・ガトー・フランボワーズ - オープン当時から変わらぬお菓子。


・ポンポネット - しっとりとラム酒が香るレーズン入りの本格的ババ。


・フルーツケーキ - ルコントの教えを守りつつ作り続ける名物。彼が世界中から厳選した 10種類のドライフルーツをたっぷりのラム酒に 1ヶ月漬け込んだ物が使われている。
 
叙勲・受賞歴
・1974年、1987年:Merite agricole ( 農事功労勲章 )
・1981年:National du Merite ( フランス国家功労賞 )
・1991年:l'Ordre des la Legion d'honneur ( レジオン・ドヌール勲章 )
・1993年: M.O.F.賞 ( フランス最優秀職人賞 )
その他多数


外部リンク
・ホームページ ( http://www.a-lecomte.com/ )
・フランス料理アカデミー
(wikiより)