酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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4234 エドワード・チャールズ・キルビー墓(横浜市中区山手町96・横浜外国人墓地)

エドワード・チャールズ・キルビー ( Edward Charles Kirby, 生年不詳 - 1883年 ) は、幕末から明治の日本で活動したイギリス出身の実業家。神戸における近代造船業の祖。


経歴
キルビーの生い立ちについては不明な点が多いが、イギリスのストーアブリッジに生まれ、幼くして孤児となったといわれている[1]。


オーストラリア、中国を経て[2] 1865年に日本に移住。


はじめ横浜居留地で貿易業を営んだがうまくいかず[3]、1868年、設置直後の神戸外国人居留地・川口居留地で貿易会社キルビー商会を設立した。


キルビーは造船業に着目し、1869年にイギリス人 2名と共同出資して小野浜鉄工所を設立したが経営に失敗[4]。


雑貨輸入業を営んだ[5]後、1878年に単独で小野浜造船所を設立した[6]。


1882年には日本初の鉄製蒸気船「第一太湖丸」の建造に成功し、さらに軍艦大和の建造に着手したが資金繰りに行き詰まり、ピストルによる自殺を遂げた[7]。
 
関連項目
エドワード・ハズレット・ハンター - キルビー商会の元従業員。
 
脚注
1. 谷口1986、144頁。
2. 谷口1986、144-145頁。
3. 谷口1986、145頁。
4. 谷口1986、147-148頁。
5. 谷口1986、149頁。
6. 谷口1986、150頁。
7. 谷口1986、143-144・150-151頁。
 
参考文献
神木哲男・崎山昌広 ( 編・著 )『神戸居留地の3/4世紀 ハイカラな街のルーツ』 神戸新聞総合出版センター、1993年。ISBN 4-87521-476-6。
谷口利一 『使徒たちよ眠れ 神戸外国人墓地物語』 神戸新聞出版センター、1986年。ISBN 4-87521-447-2。
(wikiより)