酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

4227 堀辰雄住居跡(墨田区向島3-36・すみだ福祉保健センター)

堀辰雄は明治 37年 ( 1904 )、麹町平河町 ( 現在の千代田区平河町 ) に生まれました。


2歳とき、母に連れられ向島小梅町 ( 現在の向島 3丁目 ) に住む叔母の家に移りました。


明治 41年には母が彫金師・上條松吉と結婚し、向島中ノ郷町 32番地 ( 現在のすみだ福祉保健センター所在地 ) で暮らしはじめます。


新居は「曳舟通りに近い、或 ( あ ) る狭い路地の奥の、新しい家」でした。


そこは辰雄にとって「とりとめのない幸福を今の私にまでまざまざと感じせる」大切な場所であり、辰雄のための小さなブランコが吊るされていた無花果 ( 無花果 ) の木や日あたりのいい縁側などがあったと『幼年時代』に記しています。


明治 43年の大水で新小梅町 2ノ4 ( 現在の向島 1丁目 16番 ) に移るまで、この地で過ごしました。


牛島尋常小学校を経て、府立第三中学校 ( 現在の都立両国高校 ) を卒業した辰雄は、後に室生犀星の紹介により、同校の先輩である芥川龍之介を知り文学的影響を受けます。


関東大震災では九死に一生を得ますが、母を亡くしました。


大正 13年 ( 1924 ) 4月に父・松吉が隅田公園の新小梅町 8番地 ( 現在の向島 1丁目 7番 ) に住居を新築し、辰雄は結婚して軽井沢へ赴く昭和 13年 ( 1938 ) まで父と共にそこで暮らしました。


辰雄は、「墓畔の家」や『幼年時代』などの作品に、当時の墨堤や近隣の寺社の様子を記しています。


昭和初期の文学の傑作として高い評価を受けた『聖家族』をはじめ、『風立ちぬ』『美しい村』など愛や生死をテーマとする代表作を残しました。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1049.html
970 堀辰雄住居跡(墨田区向島1-7-6(正面の住所)・隅田公園内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1286.html
1187 平木二六墓(墨田区向島5-3-2・弘福寺)