酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3837 河野加賀守政道の供養碑(函館市船見町18-14・称名寺)

・河野加賀守政道 ( こうの かがのかみ まさみち ) の供養碑
河野政道は伊予 ( 愛媛県 ) の出で、享徳 3年 ( 1454年 ) に渡来し、今の基坂の上に館を築いた。


この辺はアイヌ語でウスケシ ( 湾の端の意 ) といったが、この館が箱の形をしていたのでハコダテの地名が生まれたといい、明治 2年までは「箱館」と書いた。


永正 9年 ( 1512年 )、子・季通 ( すえみち ) の時アイヌに攻められ館は陥ちた。


この碑は、宝暦 3年 ( 1753年 ) に松前藩の亀田奉行が建て、表面に「捐館高峰院殿加屋凌雲大居士 神儀」と刻み、裏面には碑文がある。
(案内板より)


河野政通公は享徳 3年  ( 1454年 ) 南部大畑より渡来し、現在の函館病院付近に館を築き函館一帯の地を治めた。


後アイヌ語等と和人の間に争を生じ館は陥ち正通公も戦没す。


この供養碑は宝暦三年 ( 1753年 ) 時の亀田奉行、正通公の祭祀の無きを嘆き弥生小学校辺にありし称名寺に建立せしが、後称名寺の移転と共に現在地に至りしものである。
(石碑碑文より)