酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3836 新島襄海外渡航の地碑(函館市大町11)

新島襄は、新知識を海外に求め、吉田松陰の海外渡航の失敗を考慮し、渡航地を函館に選びました。


元治元年 ( 1864年 ) 江戸からきて、ニコライ主教 ( ハリストス正教会 2代主教 ) に、日本語を教えたりなどして脱出の機会を待っていましたが、同年 6月 14日 ( 新暦 7月 17日 ) 深夜、福士成豊 ( 日本最初の函館測候所開設者 ) の助力により、この地から国禁を犯して海外渡航に成功しました。


上海経由で渡米した新島襄は、修学 10年の後、明治 7年 ( 1874年 ) 帰国し、翌 8年京都において同志社大学の前身てある同志社英学校を創立しました。


この碑にある「男児志を決して千里を馳す 自ら辛苦をなめてあに家を思わんや 却って笑う春風雨を吹くの夜 枕頭なお夢む故国の花」の漢詩は、新島襄の自作自筆によるもので、元治 2年 ( 1865年 ) 香港での作です。


渡航前の名前は新島七五山太 ( シメタ ) でしたが、航海中船長から「ジョセフ」名をもらい、略して「襄 ( ジョー )」の字をあてました。


明治 23年 ( 1890年 ) 48歳で没。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/302.html
289 上野英三郎墓と忠犬ハチ公碑(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/324.html
311 二條家邸跡(京都市上京区今出川通り烏丸東入)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/325.html
312 新島襄先生 生誕地記念の碑(千代田区神田錦町3・学士会館敷地内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/326.html
313 新島襄先生終焉之地碑(神奈川県中郡大磯町大磯)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/678.html
637 新島襄旧邸(京都市上京区寺町通荒神口下ル松蔭町)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1257.html
1161 安部磯雄墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1330.html
1230 中島力造墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)