酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3782 堀杏庵墓(港区芝公園3-5-4・金地院)

堀杏庵 ( 1585 - 1642 ) は江戸前期の儒医・儒学者です。


名は正意、字は敬夫、他に杏隠、敬庵などと号しました。


近江国に生まれ、父を継いで医師になります。


京に出て藤原惺窩 ( ふじわら - せいか ) の門に入り林羅山などとともに惺門四天王と呼ばれます。


安芸国広島藩浅野家、尾張国名古屋藩徳川家に仕えました。


寛永 3年 ( 1626 ) 法眼に叙され、同 19年、幕命により弘文院に入り「寛永諸家系図伝」の編集に関与しました。


他に「朝鮮征伐記」などの著作があります。
(案内板より)


● 堀杏庵
堀 杏庵(ほり きょうあん、天正13年5月28日(1585年6月25日) - 寛永19年11月20日(1643年1月10日))は、江戸時代初期の儒医・儒学者。近江国の生れ。祖父は近江国野村城主堀定澄で、父は医師堀徳印。名は正意。字は隆夫。通称は与十郎。号は杏庵のほか、杏隠・敬庵・蘇巷・茅山山人。


医術を曲直瀬正純に、句読を南禅寺塔頭帰雲院の梅心正悟に、儒学を藤原惺窩に学び、惺門四天王(林羅山・那波活所・松永尺五・堀杏庵)の一人に数えられた。博学で、文章能力が高いと評価された。安芸国広島藩主浅野幸長・長晟、尾張国名古屋藩主徳川義直に仕え、江戸幕府の『寛永諸家系図伝』の編纂にも関与した。


長男の立庵は広島藩に、次男忘斎と三男道隣は名古屋藩にそれぞれ仕えている。


著書には『堀杏庵文集』『杏陰集』『東行日録』『有馬温湯記』『朝鮮征伐記』がある。
(wikiより)