酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3780 14代目・式守伊之助墓(墨田区太平1-26-16・法恩寺)

14代 式守 伊之助(じゅうよんだい しきもり いのすけ、1870年 - 1925年12月26日)は大相撲の立行司。


人物
本名は平木兼次郎。出身は東京府本所横網町[1]。


7代式守伊之助に入門し(のち伊勢ノ海部屋へ)、1884年5月場所に2代目式守与之吉の名で初土俵を踏み、1899年3代目式守勘太夫を襲名。1902年には幕内格に、1906年には三役格に昇進する。三役時代には5代式守与太夫(のち19代庄之助)、3代式守錦太夫(のち松翁20代庄之助)とともに「名行司三太夫」として知られた。


1925年5月場所後に当時の13代伊之助が、翌1926年1月場所から19代庄之助を襲名するのに合わせて、14代式守伊之助の襲名が決定し、吉田司家から立行司免許も発行されるが、襲名後最初の本場所を迎える直前である12月26日に突如亡くなったため、伊之助としては土俵に上がることができず、1番の取組も捌けなかった。


ただし番付上は1926年1月場所に、死跡ではあるが勘太夫改式守伊之助として在位1場所が記録されている。


脚註
1. 二十二代庄之助一代記〈第九回〉 泉林八(第22代木村庄之助)手記に14代式守伊之助についての記載あり
(wikiより)