3776 「山吹の里」の碑(豊島区高田1-18-1)
新宿区山吹 ( やまぶき ) 町から西方の甘泉 ( かんせん ) 園、面影橋 ( おもかげ ) の一帯は、通称「山吹の里」といわれています。
これは、太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に蓑 ( みの ) を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。
後日、「七重八重 ( ななえ やえ ) 花は咲けども 山吹の み ( 実 ) の ( 蓑 ) ひとつだに 無きぞ悲しき」( 後拾遺 ( ごしゅうい ) 集 )の古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で、『和漢三才図会 ( ずえ)』( 正徳 2・1712年 ) などの文献から、江戸時代中期の 18世紀前半には成立していたようです。
「山吹の里」の場所については、この地以外にも荒川区町屋、横浜市金沢区六浦 ( むつうら )、埼玉県越生 ( おごせ ) 町、などとする説があって定かではありません。
ただ、神田川対岸の新宿区一帯は、昭和 63年 ( 1988年 ) の発掘調査で確認された中世遺跡 ( 下戸塚遺跡 ) や鎌倉街道伝承地などが集中しており、中世の交通の要衝地であったことは注目されます。
この碑は、神田川の改修工事が行なわれる以前は、面影橋のたもとにありましたが、碑面をよくみると、「山吹之里」の文字の周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、この碑が貞享 ( じょうきょう ) 3年 ( 1686年 ) に建立された供養塔を転用したものであることがわかります。
(説明版より)
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