酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3776 「山吹の里」の碑(豊島区高田1-18-1)

新宿区山吹 ( やまぶき ) 町から西方の甘泉 ( かんせん ) 園、面影橋 ( おもかげ ) の一帯は、通称「山吹の里」といわれています。


これは、太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に蓑 ( みの ) を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。


後日、「七重八重 ( ななえ やえ ) 花は咲けども 山吹の み ( 実 ) の ( 蓑 ) ひとつだに 無きぞ悲しき」( 後拾遺 ( ごしゅうい ) 集 )の古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で、『和漢三才図会 ( ずえ)』( 正徳 2・1712年 ) などの文献から、江戸時代中期の 18世紀前半には成立していたようです。


「山吹の里」の場所については、この地以外にも荒川区町屋、横浜市金沢区六浦 ( むつうら )、埼玉県越生 ( おごせ ) 町、などとする説があって定かではありません。


ただ、神田川対岸の新宿区一帯は、昭和 63年 ( 1988年 ) の発掘調査で確認された中世遺跡 ( 下戸塚遺跡 ) や鎌倉街道伝承地などが集中しており、中世の交通の要衝地であったことは注目されます。


この碑は、神田川の改修工事が行なわれる以前は、面影橋のたもとにありましたが、碑面をよくみると、「山吹之里」の文字の周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、この碑が貞享 ( じょうきょう ) 3年 ( 1686年 ) に建立された供養塔を転用したものであることがわかります。
(説明版より)