酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

酔いどれJohnnyで御座います

小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3722 米津政明墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

米津 政明(よねきつ まさあき、文政13年7月26日(1830年9月12日) - 明治32年(1899年)9月24日)は、江戸時代末期の大名。出羽長瀞藩の第4代藩主。庄内藩主の酒井忠器の十一男。3代藩主・米津政易、庄内藩主・酒井忠発の弟に当たる。子は米津政敏(長男)、酒井忠利(次男、実兄・酒井忠発の養子)。官位は従五位下、伊勢守。


万延元年(1860年)5月9日、兄の隠居により跡を継いだ。


文久元年(1861年)12月に叙任する。


幕末期の動乱の中では農民による兵隊を組織するなどしたが、藩内で攘夷討幕を求める声が上がり始めた上、これを抑えるだけの力がなかったため、慶応元年(1865年)12月11日、長男・政敏に家督を譲って隠居した。


明治32年(1899年)9月24日に70歳で死去した。
(wikiより)