酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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3510 十五代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)

● 市村羽左衛門
市村 宇左衞門 / 羽左衞門(いちむら うざえもん、新字体:羽左衛門)は、歌舞伎役者名跡。名の部分は七代目までが宇左衛門、以後が羽左衛門。


屋号は七代目までは不詳、七代目から十六代目までは菊屋、十六代目以降は橘屋


十六代目以降の定紋根上り橘(ねあがり たちばな)、替紋は渦巻(うずまき)


解説
当初「市村宇左衛門」は江戸三座の一つ市村座の座元(座を主宰し芝居小屋を経営する者)の名跡だったが、元禄年間から座元が役者に転じたり、逆に役者が座元を兼ねたりすることが多くなる。そして明治末年に市村座の経営権が田村成義の手に渡ると、「市村羽左衛門」は単に役者の名跡となった。


市村座の歴史は、寛永年間に村山又三郎が江戸に出て、葺屋町村山座の櫓を上げたのに始まる。しかし村山座の経営は不振で、年を追うごとに負債がかさんでいく。又三郎のあと座元を継いだ女婿の村田九郎右衛門は、自らが病弱だったこともあり、又三郎が数ヵ月後に病死するとすぐに村山座の興行権を売却してしまう。これを買い取ったのが上州の人で村山又三郎の門人だった市村宇左衛門である。このとき座名も村山座から市村座に替わった。


2001年(平成13年)に死去した先代の市村羽左衛門は十七代目だった。しかしこれまでに「市村宇左衛門/羽左衛門」を実際に襲名した者は12名を数えるのみである。残りの5名は、いずれも死後に代々の「市村宇左衛門」に数えられた「贈何代目」の市村宇左衛門である。


そもそも「市村宇左衛門」とは、村山座の興行権を買い取って市村座を始めた上州の人・市村宇左衛門の本名である。にもかかわらず、彼は市村宇左衛門の宗祖としてではなく、三代目として数えられている。これは彼に先立って村山座の座元だった村山又三郎と村田九右衛門の両名にそれぞれ初代宇左衛門と二代目宇左衛門が追贈されているからである。また今日四代目・六代目・七代目の宇左衛門として知られる人物は、いずれも諸般の事情から市村座の座元は継いだものの「宇左衛門」の名跡を襲名するには至らなかった者で、死後にやはり市村宇左衛門が追贈されて代々に加えられたものである。


● 十五代目 市村羽左衛門
・十四代目の養子、1874–1945(座元 1900–08)。実父は明治政府の外交顧問をつとめたチャールズ・ルジャンドル、母は旧福井藩藩主松平慶永の庶子池田絲。


・坂東竹松 → 二代目坂東家橘 → 十代目市村家橘 → 十五代目市村羽左衛門


十五代目 市村 羽左衛門(じゅうごだいめ いちむら うざえもん、1874年明治7年)11月5日 - 1945年昭和20年)5月6日)は、大正から戦前昭和歌舞伎を代表する役者の一人。屋号橘屋定紋根上り橘、替紋は渦巻俳名に可江(かこう)がある。本名は市村 録太郎(いちむら ろくたろう)。


二枚目若衆役を中心とする白塗りの立役として活躍。時代を代表する美男子で、そのあまりもの美貌から「花の橘屋」と呼ばれた。


来歴
生い立ち
東京府出身。出生の事情については長らく謎だったが、死後里見弴が著書『羽左衛門伝説』の中で、十五代目はチャールズ・ルジャンドルと池田絲(いけだ いと)の間に生まれた私生児」だったという説を発表、現在ではこれが定説になっている。


ルジャンドルはフランス生まれのアメリカ人で、南北戦争では北軍の陸軍大佐としてグラント将軍旗下で活躍、戦後除隊した後には陸軍准将に名誉進級されている。その後は外交に転じ、明治新政府の外交顧問として来日、日本の台湾出兵に決定的な役割を果たした人物である。また池田絲は、旧福井藩主で、四賢侯の一人と謳われ、幕末には幕府政事総裁職、維新後は新政府の議定民部卿大蔵卿などを歴任した松平慶永庶子である。


役者人生
当時の庶民から見れば雲の上の人のような出自だったかもしれないが、そこは混血の私生児として生まれた者の宿命で、数え四つになると十四代目市村羽左衛門に養子に出される。厳しい稽古に明け暮れる役者人生がここから始まった。1881年(明治14年)1月、坂東竹松を名乗って初舞台。後に二代目坂東家橘を襲名、1893年(明治26年)7月に十代目市村家橘を襲名。1903年(明治36年)10月には十五代目市村羽左衛門を襲名した。


「市村羽左衛門」ほどの大名跡ともなれば、その襲名口上には九代目市川團十郎を置いて他に頼む人はなく、すべてを彼に任せきりにしていたのだが、襲名披露興行の直前にその九代目が風邪をこじらせて急死してしまう。慶事を前にした「劇聖」の死で幕内は上を下への大騒ぎとなった。誰が代わりに口上をやるのか、そもそも何を言ったらよいのかと、余人が侃々諤々と意見をたたかわせる中、十五代目本人は至って冷静だった。


襲名披露公演の初日の幕が開くと、十五代目は九代目團十郎の遺影を舞台上手に、そしてやはり半年前に死去した叔父(養父の兄)の五代目尾上菊五郎(十三代目市村羽左衛門)の遺影を舞台下手に置いて、本人は團菊の真ん中に座り、そこで一人滔々と口上を述べた。今日では襲名する本人が締めくくりに何卒宜しくと一言口上を述べることが一般的だが、この当時にあってはそのようなことはもとより、本人の「一人口上」などというのは前代未聞の出来事だったが、十五代目はいかにも堂に入った様子でこれが大評判となった。


花の橘屋
最後の舞台
戦局がいよいよ怪しくなり、東京の空襲が日常的な頻度になると、羽左衛門も長野県湯田中温泉に疎開することになった。その前夜、国民服防空頭巾のいでたちの羽左衛門は、一人ひと気のない歌舞伎座の舞台に名残惜しそうに立ち続けていたという。羽左衛門が再びその舞台に立つことはなく、1945年(昭和20年)5月6日に湯田中の老舗旅館「よろづや」でひっそりと死去した。そしてその歌舞伎座も羽左衛門の後を追うかのように5月25日の大空襲で灰燼に帰してしまった。墓所は東京都豊島区雑司ヶ谷霊園


十五代目の訃報に接して、六代目尾上菊五郎は「上手い役者ではなかつたが、良い役者でした」と個人を偲んでいる。その六代目は初代中村吉右衛門とともに大正年間に「菊吉時代」と呼ばれる歌舞伎のひとつの黄金時代を築いていたが、彼らは「上手い役者」と評されることはあっても、「良い役者」と評されることはなかなか無かった。その意味で、十五代目市村羽左衛門の死は歌舞伎の一つの時代の終焉でもあった。


4か月後、ダグラス・マッカーサー副官として厚木に降り立ったフォービアン・バワーズが、日本の新聞記者に向かって真っ先に尋ねたのが「羽左衛門はどうしていますか?」という質問だったという。


詳しい事は『十五代目・市村宇左衛門ウィキペディア』を御覧下さい。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%9D%91%E7%BE%BD%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80_(15%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
(wikiより)


関連情報
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13 遠山金四朗景元墓(豊島区・巣鴨)


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16 長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡(墨田区菊川3-16-2)


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34 江戸猿若町・市村座跡碑(台東区浅草6丁目)


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165 江戸猿若町・守田座跡の碑(台東区浅草6丁目)


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419 十五代目・市村羽左衛門墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)


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423 市村座・中村座の石灯篭(神奈川県藤沢市江の島2-3-21・江島神社 中津宮)


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1221 六代目・尾上菊五郎墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)


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3497 二代目・市村羽左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3511 十六代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


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3512 十七代目・市村宇左衛門墓(江戸川区西瑞江2-38-7・大雲寺)


 十五代目・市村宇左衛門










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