酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3403 歌舞練場跡記念碑(下京区西新屋敷中之町)

宝暦の 


  むかしの夢は 


       見は見つれ 


           夜半の投節 


               聴くよしもなし
                                
吉井勇(歌人1886~1960)


島原歌舞練場は、明治6年(1873)上之町に島原女紅場(にょこうば)として開設され、青柳踊や温習会が上演されていたが、同14年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。


その後景気の回復により、太夫道中が再興され、歌舞練場が常にその巡行の拠点としての役割を果たしていた。


しかし、当初の歌舞練場は、狭隘にして、かつ貸座敷組合事務所との共用であったため、昭和2年(1927)に中之町の現在地に移転し、本格的な劇場施設として新築された。


それ以来、この新歌舞練場は、歌舞会にあたる養柳会が運営にあたり、歌舞音曲の練習発表の場として、毎年温習会が開催された。


戦後の同22年以降は島原貸席お茶屋業組合の事務所としても使用されてきたが、平成8年(1996)同組合の解散に伴い、歌舞練場を解体し、歌舞練場120余年の歴史を閉じることとなった。


また、天保年間の島原鳥瞰図によると、当地はもと稲荷社が鎮座していたことから、この大榎(おおえのき)には、歌舞練場解体時までその根元に祠が祀られていた。


約200年の樹齢を誇るがごとく、樹高は15m、幹周も2mとなり、今なお神木としての威厳を留めている。


ここに、記念碑を建立し、花街の象徴であった歌舞練場と古木の由来を刻するものである。



 宝暦の   むかしの夢は見は見つれ       
  夜半の投節   聴くよしもなし


                   吉井勇 (歌人 一八八六 ~ 一九六〇 )
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1269.html
1173 吉井勇歌碑(広島県尾道市・千光寺公園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1661.html
1532 吉井勇墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)










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