酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3373 土佐藩邸跡碑(京都市中京区木屋町通蛸薬師西南角)

此付近土佐藩邸址
高瀬川を渡った西側、河原町通に至る間の元立誠(りっせい)使用学校の辺りには、江戸時代、土佐藩(現在の高知県)の藩邸があった。


当時は高瀬川に面しても門が開かれ、高瀬川には土佐橋が架かっていた。


藩邸が始めて置かれたのは江戸時代で、元禄三年(1690)には、京都藩邸の守るべき法律が詳しく定められている。


藩邸は藩の京都連絡事務所で、留守居役が詰め、町人の御用係を指定して、各種の連絡事務に当った。


土佐藩は、薩摩(現在の鹿児島県)、長州(現在の山口県)と並んで幕末政局の主導権を握った雄藩で、武市瑞山、坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎らの志士が活躍した。


藩邸は、土佐藩の活躍の京都における根拠地であった。


なお、この西側に鎮座する土佐稲荷・岬神社は、もと藩邸に鎮守社として祀られたもので、同社に参詣する町人のために藩邸内の通り抜けが許されていた。
(案内板より)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/329.html
316 後藤象二郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/346.html
333 中岡慎太郎墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/347.html
334 坂本龍馬墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/714.html
684 岡田以蔵墓(高知市薊野北町1-11周辺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/745.html
700 武市半平太・富墓(高知市仁井田3021)












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