酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3369 古高俊太郎邸址(京都市下京区西木屋町四条上る・志る幸)

古高 俊太郎(ふるたか しゅんたろう、文政12年4月6日1829年5月8日) - 元治元年7月20日1864年8月21日)は、江戸時代末期(幕末)の攘夷派志士。諱は正順(まさより)。変名・湯浅喜右衛門。


生涯
文政12年(1829年)、大津代官所の手代・古高周蔵の子として誕生。母は公家の広橋家家来の娘。近江国栗太郡古高村(現・滋賀県守山市)出身。


父・周蔵が山科毘沙門堂門跡に仕えたのに際し京都へ移住。尊皇攘夷を唱える梅田雲浜に弟子入りした。文久元年(1861年)、京都河原町四条上ル東で筑前福岡藩黒田家御用達・枡屋を継ぎ、枡屋喜右衛門を名乗る。古道具、馬具を扱いながら早くから宮部鼎蔵らと交流し、有栖川宮との間をつなぐなど長州間者の大元締として諸大名や公家の屋敷に出入りし情報活動と武器調達にあたった。


しかし、元治元年6月5日1864年7月8日)、新選組に踏み込まれ捕縛される。武器弾薬を押収され、諸藩浪士との書簡や血判書が発見された。壬生屯所前川邸の蔵で局長・近藤勇、副長・土方歳三から直々に厳しい取調べを受けた。2階から逆さ吊りにされ足の甲から五寸釘を打たれ、貫通した足の裏の釘に百目蝋燭を立てられ火をつけられる等の過酷な拷問を受け、自白。その内容は八月十八日の政変後、京を追われた長州人らが6月下旬の強風の日を選んで御所に火を放ち佐幕派公卿中川宮を幽閉し京都守護職松平容保以下佐幕派大名を殺害し、天皇を長州へ連れ去ろうとするものだった。すでに計画実行の志士が多数上洛、潜伏しており近々市中で同志の集会があることも判明し、これを阻止したのが池田屋事件である。ただし計画の内容は古高が拷問を受けて発言した以外の客観的な証拠が乏しく、捏造もしくは誇張であるとも言われる。


その後、六角獄舎に収容されたが、7月20日8月21日)の禁門の変の際に生じたどんどん焼けで獄舎近辺まで延焼、火災に乗じて逃亡することを恐れた役人により、判決が出ていない状態のまま他の囚人とともに斬首された。享年36。


関連項目
池田屋事件
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/467.html
452 梅田雲浜墓(京都市東山区五条通東大路東入ル遊行前町・安祥院)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/535.html
521 古高俊太郎遺髪墓(上京区七番町千本出水西入ル・福勝寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1608.html
1492 近藤勇墓(会津若松市東山町石山天寧208・天寧寺)


 

 古高俊太郎











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