酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3358 土御門内裏跡(上京区烏丸通下長者町上る西側・京都ガーデンパレス前)

土御門(みかど)烏丸邸の沿革

平安京左京一条三坊九町にあたるこの地(北は上長者町通、南は下長者町通、東は烏丸通、西は室町通)は十世紀頃に村上天皇の皇子・具平親王の邸宅が造営され、十二世紀に至って、曾孫・源師時の邸宅・土御門第となった。


白河院近臣の権勢者・藤原顕隆は、この地を買得して内裏を模した最初の里内裏を営み鳥羽天皇から崇徳、近衛と続く三代、二十四年もの間、天皇の御所となった


この里内裏も、保元元年(1156)の乱によって廃絶した。


鎌倉・室町時代には清浄華院が移ってきたが、のち豊臣秀吉により寺町に移され、そのあとには黄金塗瓦葺きの大名屋敷が建ち並んだものの、これも秀吉の伏見城造営に際して伏見に移された。


江戸時代の寛永十二年(1636)になって水戸藩邸が営まれたが、幕末の文久四年(1864)、烏丸通を鋏んで東向かいある蛤御門(禁門)で起こった戦火により全焼した。


現存する水戸彰孝館所蔵史料の多くはこの藩邸で蒐集されたものである。


明治時代に入った後は転々と所有者が変わり、平成八年その一部が京都ガーデンパレスとなった。
(案内板より)










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