酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3351 此付近水戸藩邸跡(上京区烏丸通下長者町上る西側・京都ガーデンパレス前)

この付近、烏丸通下長者町西入北側は、江戸時代に水戸(茨城)藩邸があった所である。


藩邸が置かれたのは古く、貞享(じょうきょう)三年(1686)の地図「旧藩々上邸箇所」に記されている。


明治のはじめ藩邸が廃止された時は、敷地千三百二坪(約四千三百平方メートル)の広さであった。


水戸藩は、徳川家康の子・頼房を初代藩主とする御三家の一つで、石高三十三万石。


二代藩主・徳川光圀は「大日本史」編集の事業をはじめ、幕末まで継続された。


編集の資料を集めるため、京都にも多数の係員が派遣され、この藩邸はその拠点となり、借用資料の筆写も藩邸で行われた。


幕末には水戸藩は尊皇攘夷と佐幕とに藩論が分かれたが、ともに諸国志士の運動に大きな影響を与えた。
(案内板より)










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