酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

311 二條家邸跡(京都市上京区今出川通り烏丸東入)

時は江戸。


現在の京都御苑は天皇の居所である内裏(京都御所)を中心でした。


今出川通の北側にも屋敷が並び、当地(女子大学東半部)には二條家が広大な屋敷地を構えていました。


二條家は藤原氏を祖とし、「五摂家」の一つとして朝廷内では格式高い家柄にあたります。


ここに展示した礎石は、女子大学構内の発掘調査(2007年度)で出土したもので、かつてあった二条家邸の存在を今に伝える貴重な遺産です。


当時の情景に思いを馳せながら、京都公家社会の息吹を少しでも感じていただけると幸いです。
(案内板より)


● 二条家
二条家(にじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。


概要
藤原氏北家九条流鎌倉時代九条道家の二男二条良実が、二条富小路の邸宅[1]を二条殿と称したのが家名の由来(二条殿は後に押小路烏丸殿を指すようになる)。家紋二条藤江戸時代の家禄は1708石。維新後公爵足利将軍家および徳川将軍家から、代々偏諱を賜い、五摂家のなかでは、最も親幕府派とされる。また、史上最後の関白二条斉敬)を出した家でもある。


鎌倉時代末期の元弘の変において後醍醐天皇関白二条道平が倒幕関与の疑いを受けて鎌倉幕府より「中院禅閤(二条兼基)等子孫不可為家督」(『花園院宸記』正慶元年4月10日条)の処分を受けて二条家は一時断絶の危機に陥った(後醍醐天皇の復帰で無効となる)。続く、南北朝時代に一時分裂したが、北朝二条良基(道平の子)のもとで勢力を取り戻した。特に明治以前の即位式において新天皇に灌頂を授ける即位灌頂の儀を掌る役目は室町時代以後二条家が独占していた。江戸時代、当時の摂家最大の実力者とされていた近衛基熙が本来は摂関家全てに即位灌頂の礼式が伝わっている事、先代当主の二条光平の早世で礼式が絶えたことを理由に二条家の独占を継続すべきではないと唱えた。これに対して霊元上皇は他家にも伝わっているにも関わらず二条家の独占になっているのは相応の理由があるからであるとして、たとえ二条家当主が現職の摂関・大臣でなくても「即位灌頂」のみは二条家当主が行う事、もし当主が幼くして二条家を継いだ場合には儀式の秘法を知るもう一人の存在である当代の天皇が責任をもって当主に伝授する事を裁定して公式に二条家の独占となった。


江戸時代の屋敷跡地は、京都御苑の区画外に位置していたため、他の4家の摂政関白家とは異なり公園とはなってはおらず、同志社女子大学の構内となっている。


江戸時代の二条邸
江戸初期には京都御所南部にあったがのちに北部に移転した。現在は同志社女子大学今出川キャンパスの敷地の一部となっている。茶室は同志社大学に移築され現在も保存されている。政所御殿と表門は随心院に移築され、それぞれ庫裏、総門として使われている。


詳しい事は『二条家ウィキペディア』を御覧下さいませ。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E5%AE%B6
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/325.html
312 新島襄先生 生誕地記念の碑(千代田区神田錦町3・学士会館敷地内)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/326.html
313 新島襄先生終焉之地碑(神奈川県中郡大磯町大磯)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/678.html
637 新島襄旧邸(京都市上京区寺町通荒神口下ル松蔭町)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3033.html
2740 添川廉斎墓(台東区入谷1-28-7・正覚寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3711.html
3449 徳富蘇峰碑(広島県尾道市・千光寺公園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/4180.html
3836 新島襄海外渡航の地碑(函館市大町11)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/4773.html

4343 新島襄墓(京都府左京区鹿ケ谷若王子山町・同志社墓地)