酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3016 板割浅太郎墓(神奈川県藤沢市西富1-8-1・遊行寺)

赤城の子守唄で その名をよく知られる板割浅太郎 ( 本名 大谷浅太郎 ) は、天宝 13年 ( 1842年 )、赤城山騒動の後 親分・国定忠治と別れ、渡世の足を洗うため佛門に入った。


長野県佐久市の時宗住職列外和尚の弟子になり僧名を列成 ( れつじょう ) と名乗った


後に遊行上人の手引きによりこの地に移り遊行寺の堂司 ( どうす 堂守 ) を勤めた。


朝夕の鐘つき、札売り、参詣者へのお茶の接待、境内の清掃に精を出しながら念佛三昧の日々を送り、かって、自分が手を下した中島勘助、勘太郎父子の菩提を弔った。


その精進、改心が認められ、当時この地にあった貞松院 ( ていしょういん ) の住職になった明治 30年 ( 1880 ) 遊行寺が炎上した折 60才を過ぎた列成和尚は勧進僧となり各地巡って浄財を募り 本山復興に力を盡して佛思に報いた明治 26年 12年 30日 74才で その生涯を閉じた。


石碑は当院 42世 洞雲院弥阿列成和尚と刻まれている


今から 130余年前の事である。


赤門 真徳寺住職
(案内板より)










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