酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

3000 井関盛艮墓(台東区・谷中霊園)

井関 盛艮(いせき もりとめ、天保4年4月21日1833年6月8日) - 明治23年(1890年2月12日)は、幕末宇和島藩士、明治期の官僚実業家。初名は峰尾・字は公敦。通称は斎右衛門。書によっては名を「盛良」(もりよし)とするものもある。


経歴
藩主伊達宗城に仕え、安政6年(1859年)に山奉行、文久3年(1863年)に大目付役軍使兼寺社奉行を務め、後に藩命によって京都や長崎で政治工作にあたる。


維新後は宗城に従って新政府に出仕して外国事務局や外務省に勤務、明治2年4月17日(1869年5月28日)に神奈川県知事に任じられる。


神奈川県知事時代に伊勢山皇大神宮創建や横浜毎日新聞の創刊などの事業に関わった。


明治4年(1871年)に宇和島県参事に任じられるが、赴任することなく同年のうちに名古屋県令に転じ、愛知県に改称後もそのまま県令に留まった。


明治6年(1873年)に島根県権令に任ぜられ、翌年に県令に転じるが、明治9年(1876年)に退官して実業界に転じ、甲武鉄道発起人として東京-八王子間の鉄道敷設に尽力、また第二十国立銀行取締役、東京株式取引所肝煎頭取などを歴任した。


人物写真の収集でも知られ、井関が所有していた勝海舟近藤勇木戸孝允高杉晋作岩倉具視伊藤博文らの肖像など、幕末から明治中期にかけての古写真230葉が、現在、東京都港区立港郷土資料館に収蔵されている。墓は東京の谷中霊園にある。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/5265.html

4777 伊達宗城墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)