酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

2999 井深元治墓(台東区・谷中霊園)

井深元治(いぶか - もとはる)    
嘉永元年? ~ 明治6年2月5日(1848? - 1873)


元会津藩士・「束松事件」犯人の一人。


福島県出身。


戊辰戦争後、新政府は、会津の治世を越前の久保村文四郎に命令するが、暴虐貪欲で、とくに贋金作りの探索では、容疑があると調べもせず惨殺した。


また、会津藩士の死体埋葬を許可しなかったが、伴百悦等が手を尽くして埋葬を行った。


しかし、民政局筆頭・越前藩士の久保村文四郎より撤去命令が出た。


明治2年(1869)7月久保村に激怒した会津藩士・伴百悦・井深元治・高津仲三郎・武田源蔵の4名が河沼郡束松峠にて久保村を暗殺した「束松事件」を起こした。


元治は名前を上山大八と変え大阪に逃れ潜伏した。


しばらくして、久保村殺害の首謀者は処刑されて、政府は他の犯人を追及しないと聞き及び、東京に出て日下義雄の紹介・井上馨の斡旋で学業を始めるが、密告され捕り、明治6年(1873)獄中にて死亡。25歳没。


このときの判事は、玉乃世履。屍は、小塚原回向院に投げられたという。


 建立は元会津藩士・日下義雄。明治27年10月建立で死後20年以上経っているが官職の地位で獄死者の墓を建てたのには、井深元治の行為に賛同するところがあったからだろう。


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/732.html
687 玉乃世履墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1597.html
1474 伴百悦墓(福島県会津若松市北青木13-33・善龍寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/6476.html

5629 日下義雄墓(台東区・谷中霊園)










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