酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

2569 平山省斎墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)

幕末の外国奉行・江戸幕府若年寄・明治初期の宗教家。


従六位。


初名、田村久蔵。前名、黒岡謙次郎。名、敬忠。字、安民。号、省斎・素山。
父、陸奥三春藩士黒岡活円斎(または旗本岡田甚平?)。


江戸に出て叔父奥御祐筆組頭・竹村七佐衛門に寄宿、安積艮斎に師事。


幕臣平山氏の養子として幕臣となり、嘉永4年(1851)御目付役。


安政元年(1854)堀利熈・村垣範正に従い蝦夷地を視察。


安政2年(1855)ペリー再来航のとき岩瀬忠震とともに下田で応接に当たる。


その後、北方、長崎などの警護に就く。


安政4年(1857)勘定奉行・水野忠徳に従い、長野でロシアやオランダの使節を応接。


安政6年(1859)安政大獄の岩瀬失脚に連座し免職。


慶応元年(1865)目付の復帰、再び外交の先頭に立つ。


大島友之允・勝安房らと征韓論を唱える。


慶応2年(1866)外国奉行となり朝鮮に差遣。


徳川慶喜に抜擢され外国総奉行。


慶応3年(1867)若年寄。


対薩長強硬派だったため鳥羽伏見での敗戦後、徳川慶喜より免職登城禁止となる。


明治5年(1872)赦免となり、官途に就かず、氷川神社宮司や日枝神社祠官となり、禊(みそぎ)・淘宮(とうきゅう)・天学・蓮門・儒教・心学など多くの民間の講社を結集し神道大成教を創立。


御岳教の別派独立の際はその管長を兼ねる。76歳没。


著書:「平山省斎遺稿抄」。


関連情報

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/702.html
660 岩瀬肥後之守(忠震)墓(豊島区東池袋4丁目・雑司が谷霊園)










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