酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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2567 藤岡市助墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)

藤岡 市助(ふじおか いちすけ 安政4年3月14日1857年4月8日) - 大正7年(1918年3月5日)は、日本工学者実業家。日本に電気、電球灯の普及させたところに功績が大きく、「日本のエジソン」、「電力の父」と評される。東京電気株式会社(後の東芝の弱電部門)創業者。


来歴

 小田原馬車鉄道湯本駅に立つ藤岡市助(1900年)



周防国岩国(現在の山口県岩国市)に岩国藩士藤岡喜介と妻ウメの長男として生まれた。慶応元年(1865年)、藩校の養老館に入る。


1875年 旧藩主吉川経健から奨学金を得て工部寮電信科入学。合格者は6名であった。

在学中にウィリアム・エドワード・エアトン教授に学び、学生として1878年3月25日の銀座木挽町での日本初のアーク灯点灯実験に参加している。この日は電気記念日となっている。

1880年 電信技術の教科書「電信初歩」を書く。


1881年 名称が変わった工部大学校を首席で卒業。卒業論文は「測定器ガルバノメートルに就いて」。工部大学校の助手に就任する。この頃、芝浦製作所(現在の東芝の強電部門)創業者の田中久重に会う。


1882年 銀座大倉前で2000個のアーク灯を点灯する。


1883年 アーク灯用の発電機を設計製作。


1884年 工部大学校教授に就任。物理学電信学を教える。フィラデルフィア万国電気博覧会を視察し、ニューヨークに立ち寄りトーマス・エジソンに会う。


1886年 帝国大学工科助教授に就任。同年に辞職し、山尾庸三の尽力で東京電燈を設立する。

 東京電燈の設立には矢島作郎三野村利助大倉喜八郎原六郎柏村信蜂須賀茂韶が参加し、設立されようとしていた「日本電灯」も合流している。合流には渋沢栄一が関わっている。


・発電機の交流直流論争において、岩垂邦彦が親交の深かったエジソンに逆らってもニコラ・テスラ交流に賛意を示したのに比べ、東京電燈の技師長であった藤岡がエジソンの直流側についたのも有名である(但し、藤岡の説得で財界シンジケートが組まれて資本投下をされていた為、後戻りできなかった事情も窺える)。


1890年 三吉正一と電球製造の白熱舎(後に東京電気から東芝へと発展)創設。電車を発表、浅草凌雲閣にエレベーターを作る。


・1891年 工学博士を授与[1]

日本電気協会会長、東京電気社長、岩国電気軌道社長などを歴任。

同郷の先輩に江木千之がおり電球製造の後援者となる。


脚注

「博士授与式」東京日日新聞明治24年8月25日『新聞集成明治編年史. 第八卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)


外部リンク

工学博士藤岡市助伝肖像(国会図書館デジタルコレクション)

藤岡市助ものがたり - 東芝未来科学館ホームページ

(wikiより)


 藤岡市助










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