酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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小生の拙ブログに御訪問頂き、誠に有難う御座います。


歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

2565 沢井廉墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)

沢井廉 (さわい - れん) / 沢井康之 (さわい - やすゆき)     

慶応元年1月16日~明治27年11月28日( 1865 - 1894 )


明治期の電気学者・理学博士。東京電話交換局長。


父、岡山藩士・沢井修之(近知)(長男)。


京都出身。


幼時より学を好み、9歳にして洋書を読む。


17歳のとき帝国大学理科大学に入り理学を専修。


苦学5年で理学士となる。


欧米諸国を暦遊し電気について研究する。


病気のため帰国し、平癒後、逓信省技師補、東京電話交換局長となる。


また、大学工科講師。


明治17年(1884)重力試験のため小笠原諸島に渡る。


明治19年(1886)東京大学大学院にすすむ。


明治19年(1886)3月21日帝国大学の広田理太郎・和田義睦・同理科大学の田中館愛橘らと共に4名が「自転車会」を設立。


明治20年(1887) 梅浦精一・渋沢栄一らの電話会社創立の為の電話事業を調査するため、米国に留学し、エジソンの助手を勤め蓄音機の発明を助ける。


明治26年(1883)1月逓信省管下における最初の専門雑誌「電信協会誌」の編集委員に浅野応輔・湯川寛吉と3名がなる。30歳没。


関連情報

http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/2841.html

2561 渋沢栄一墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)










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