酔いどれJohnny 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

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歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


また『 高知市丹中山・歴史公園 』の記事については案内板を引用していますが、"この案内板の文章転用は、前田秀徳様より御許しを頂きました。"

※  「あの頃は若かった」、「おもしろ画像」、「歴史の時間」の画像については「ネット上の画像」を拾って掲載する場合もあります。

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どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

2559 下村観山墓(台東区谷中5-3-17・安立寺)

下村 観山(しもむら かんざん[1]1873年明治6年)4月10日[1] - 1930年昭和5年)5月10日[1])は、明治 - 昭和初期の日本画家。本名は晴三郎。

1873年(明治6年)、和歌山県和歌山市に生まれる。8歳のとき東京へ移住。最初狩野芳崖に、その没後は芳崖の親友である橋本雅邦に師事する。東京美術学校(現・東京藝術大学)を第一期生として卒業後、同校で教えていたが、1898年に岡倉覚三(天心)が野に下ったときに行動を共にし横山大観菱田春草とともに日本美術院の創設に参加した。


1906年、天心が日本美術院を茨城県北部の五浦海岸へ移した際、大観、春草、木村武山とともに同地へ移住し画業を深めた。1917年6月11日、帝室技芸員となる[2]


代表作品

 弱法師


・「光明皇后」(1897)(宮内庁三の丸尚蔵館

・「修羅道」(1900)(東京国立博物館

・「鵜鴎図」(1901)(滋賀県立近代美術館

・「ダイオゼニス」(1903)(東京国立近代美術館

・「木の間の秋」(1907)(東京国立近代美術館) 

・「大原御幸」(1908)(東京国立近代美術館)

・「鵜図屏風」(1912)(東京国立博物館)

・「白狐」(びゃっこ)(1914)(東京国立博物館)

・「弱法師」(よろぼうし)(1915)(東京国立博物館)(重要文化財

・「春雨」(1916)(東京国立博物館)

・「楠公」(1921)(東京国立博物館)

・「景雲餘彩」(1922)(宮内庁三の丸尚蔵館)


主な文献

・「観山画集 下村観山1」 大日本絵画、1981年

・「下村観山伝 下村観山2」 同上  各大著

・「横山大観 下村観山」 現代の水墨画2:講談社 1983年

・「下村観山 菱田春草」 現代日本絵巻全集4:小学館 1982年

 ・図録 「大観と観山展」 横浜美術館、日本経済新聞社、1990年

 ・図録 「下村観山展―生誕120年記念」 朝日新聞社、1993年

 ・図録 「生誕140年記念 下村観山展」 横浜美術館、2014年


脚注

出典

1. a b c 国立国会図書館

.2. 『官報』第1458号、大正6年6月12日。


参考文献

下村観山”. 近代日本人の肖像. 国立国会図書館. 2015年6月24日閲覧。

(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/666.html
626 横山大観墓(台東区・谷中霊園)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/684.html
642 岡倉天心墓(豊島区駒込5・染井霊園)


 下村観山










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